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伊予西条氷見 森家住宅

伊予長浜 散歩

窪川散歩

高知 吉良川の街並み

宮の口の街並み,室尾の街並み

佐倉 武家屋敷

佐原の街並み、 伊能忠敬

下田散歩

村田蔵の街並み 、  13. 村田城

 


荒浜小学校

 









 

  伊予西条氷見 森家住宅  国有形文化財

  60番札所の横峰寺からの帰りに登山バスを降車して乗り継ぐ路線バスの時間が2時間余りあったので、JR氷見駅まで歩いて下山した。 途中で森家(住吉屋)を見ることが出来た。 内部まで見るみることができなかった。見学会は月1回であるという。 

 江戸時代末期(1841年)に建てられた大地主のお屋敷。 下記でお雛様や内部をごらんください。

       https://www.lovesaijo.com/education/sumiyoshiya202303/


 


  案内標識

 


 



  玄関、他に門もある



 

 門



     2024-7-4




    伊予長浜 散歩

 


 昔の長浜の港は今から考えると想像を超える発展であったようだ。鉄道やトラックの発達していない時代は四国の豊富で優良な木材を運ぶには川や海を利用した水運しかなかった。 長浜は肱川から下って来る物産を積み出す港として財を成した。



 昔の長浜港

 上写真のようにスクーナー型帆船がこんなにも多かったのかと今のヨットマンには驚かされる。 現在の老人クラブと化したヨットの現況では、その輝しき伝統はどうしたのであろうか。

 肱川河口には帆船を通すべき最古の可動橋である長浜大橋(1935年開通)があります。



  案内板



  長浜大橋・赤橋、、  重文


  この橋近くに、土佐を脱藩した坂本龍馬が長浜の港から長州に渡る際に泊まった宿である富谷金兵衛邸があります。



 富谷金兵衛邸


   伊予長浜  ヨット泊地


 

    2024-7-21





   窪川散歩


 

 土佐くろしお鉄道は中村―宿毛、御免―奈半利と分断して高知県の西部と東部を運行している。 37番岩本寺へ行くのに、土佐くろしお鉄道の宿毛・中村線、土佐佐賀より窪川往復を乗車した。 後で気が付いたのであるが地図にあるようにこの線はループした路線があるようだ。ほぼトンネルということで乗っていてもその事実を知らなければ気が付かない。また窪川駅は宇和島へ行く予土線の接続駅でもある。



  予土線、 宇和島行き、  新幹線を模したユニークな車両



  窪川周辺図

 

 37番 岩本寺の参詣を終えて、観光案内所にて街並みでも見て廻ろうとレンタサイクルを借りた。 谷干城の誕生地を訪ねるべくグーグルマップに従い予土線と川岸沿って30分も走った。 とても着きそうもないので、民家を訪ねていた業者に不安になりそこを尋ねた。谷干城は川向うの国道・県道381を戻るようである。これだからグーグルマップは注意して使わなくてはならない。 若井大橋を渡るときに眼下に若井沈下橋を見る。 この川は四万十川の上流であった。



  四万十川と若井沈下橋



 

  陸軍中将・谷干城像、  戊辰戦争で活躍し、 熊本城で西郷軍を足止めした。



 

  谷干城 生誕地

 mac窪川店の駐車場の一角にある。



 

  旧都築半平別邸 

 

 1822年(文政5年)土佐藩はこの地方の開発のため、身分や職業の制限を撤回して開墾者を募集した。それに芸西村和食の都築家の次男の半平が窪川に移住して新田開発に取り組んだ。その後、半平は酒造業や水産業などの実業家として成功を収めた、



  茂串城・窪川城 案内板

 

  1500年頃鎌倉から来た山内氏が窪川氏を名乗る。長曾我部氏の配下となり文禄の役で戦死し断絶した。 岩本寺の奥の山に城は有るのであるが登り口が分からずに行くのを断念した。



      2024-8-1

 

     

 

  高知 吉良川の街並み


  室戸岬港からのお遍路寺26番、25番、24番と一緒に吉良川の街並み保存地区へ行ってきました。

 西海岸の奈半利から室戸岬、東海岸の室戸岬から甲浦は鉄道の路線がないのでバス便になる。

 

  吉良川から室戸岬


 重要伝統的建造物保存地区になっている。 備長炭で財を成して明治から大正にかけてこのような建造物が建てられたという。


   案内板

 


  街並み1

 

 

  台風から守るための「いしくろ」の塀



 

  多雨の地ゆえに土佐漆喰壁を守る水切り瓦(小屋根)が幾重にも設置されている



 

 ここも水切り瓦が見られる



     2024-8-15




    宮の口の街並み,室尾の街並み  倉橋島、鹿島

 

 倉橋島海の駅の近くの桂浜温泉館よりコミュニテイバスに乗り宮の口の街並みと室尾の街並みを見てきました。レンタサイクルでも平坦地が多いので良いと思われる。 始発の温泉館では温泉に浸り、ここから呉行の路線バスがある。

 

 

 

    宮の口の街並み

 鹿島大橋にて倉橋島と鹿島が結ばれている。 その鹿島に宮の口の街並みがある。 歴史的保存の街並みを期待していたが、古い家並みではなくて、今では珍しくなった段々畑が残る街並みのようである。

 

 石積みの段々畑


     

     室尾の街並

 宮の口で次のバスまで2時間余り待ち、鹿島大橋を通り倉橋島の室尾にて下車した。この町の方がやや規模の大きな集落のようである。 ここの街並みでの見どころは醸造酒酒屋の建物である。 宮の口と同じように保存地区の指定がないので、風情の街並みとはいかない。


  室尾の集落、林酒造と赤丸はヨット係留ポンツ-ン、

 


  室尾の街並み

 

 

  林酒造、  着物の展示をしている

 

 

  林酒造




        室尾・倉橋島のヨット泊地


  倉橋海の駅は温泉に入れることから人気でヨットの係留は3隻ほどになる。横抱きしてくれないときには、近くの室尾の旧連絡船ポンツ-ンがあるので、ここはどうでしょうか。 上図の赤丸の位置。

  

  旧連絡船ポンツ-ン



     2024-12-5





     佐倉 武家屋敷


  佐倉駅より武家屋敷尾経由して佐倉城まで

 

 駅の観光案内所より情報を得て武家屋敷を経てお城まで徒歩で向かった。予想以上に長く時間がかかり、帰りはタクシーを使う羽目になった。 残念なことに佐倉の町は昔ながらの面影は感じられずに、わずかにひよどり坂と武家屋敷のある近辺のみそれが感じられた。行政も案内地図板などの整備が不十分である。



  ひよどり坂

 

 佐倉藩でも堀田正睦により「天保の御制」と呼ばれる藩令が定められました。その中の「居住の制」では、身分による屋敷の規模・様式がかなり細かく決められていた。


 


 「旧河原家住宅」(千葉県指定文化財)、「旧但馬家住宅」(佐倉市指定文化財)、「旧武居家住宅」の3棟の武家屋敷が現在公開されています。



 旧河原家住宅、  300石以上の武士であった大屋敷



  河原家内部




  旧但馬家住宅, 100石以上の武士が住んだ中屋敷



  但馬家台所

 

    2025-7-11  

 

 

 

 

  佐原の街並み、 伊能忠敬

 

  佐原・香取市 郊外図


 JR佐原駅より徒歩10分位で小野川沿いに川辺の古い街並みを訪れる。 かって見た倉敷美観地区の景色に似ているともいえるが、佐原のほうが自然な街並みに思える。 倉敷の方が断然有名ではあるけれど、造られた感がする。

 ここは江戸時代の江戸へ米を運ぶのに銚子で荷を下ろし利根川の舟運を利用していた。佐原はその中継地として栄えた。

 

  小野川沿いの柳が風情を高めている



  小雨が降っていた、 オススメです。川下りの観光船もあり



 川向かいの家が伊能忠敬の旧宅

 この街の入り婿として来た伊能忠敬は隠居するまでに千両を稼ぐ家業へ発展させた。 江戸時代のすごさは、56歳になってから17年をかけて全国を歩き測量して日本地図を作製した。彼を育てた地・知が佐原であった。記念館で詳しい展示を見た。



 内部、 御用(模作)の旗はこれを掲げて測量に使用した。



     2025-7-12




    下田散歩


 

  下田の街

 海の駅はペリ-艦隊の来航記念碑の隣にある。すぐに温泉の銭湯である昭和湯でくつろげる。

 

 下田 ペリ-艦隊 停泊図


 なまこ壁のある建物があちこちで散見される。


 

 

 

  宝福寺 勝海舟が山内容堂とここで会い、龍馬の脱藩の許しを得た



 

 吉田松陰が密航を図り投獄拘禁された跡


 

 欠乏所の跡

 欠乏品の補充が実質の貿易となったところ



 

  下田教会 



 

  了仙寺

  日米下田条約締結



  長楽寺

  日露和親条約締結



    2025-7-27





    村田蔵の街並み 、  村田城


  村田蔵の街並み、  大河原周辺図

 

  仙台からは東北本線で白石・福島行きで大河原下車、バス便が少数ある。 行はタクシ-で帰りは観光案内所で聞いたバス時刻により帰る。

 仙台と山形を結ぶ街道の分岐点として、商都の賑わいをみせた「村田」。村田商人は、紅花や藍を仙南地方で買い集め、江戸や上方へ運ぶ商取引を行っていました。

 

  赤線は陸路、 青線は海路

 

 村田からの陸路で仙台、石巻、塩釜(貞山堀にて荒浜)荒浜,酒田へ、そこから海路で江戸や大阪に荷物を運んだ。阿武隈川の水運で荒浜へ行くル-トもあり。

 

  蔵の町地図

 上図のように広くはないので1時間もあれば見ることが出来る

 

 村田商人やましょう記念館



 旧大沼家  内蔵


 


  村田武家屋敷

  ここは1棟貸で宿泊できるようである。




   13.  村田城


 村田城は中世から築かれた平山城で、村田城は標高54mの丘陵を中心に水掘で囲み、荒川を天然の外掘りとしていたようで、現在、本丸は城趾公園として整備され、二の丸は小学校の敷地となっています。 全体の大きさは東西300m、南北210mあり、本丸は東西130m、南北80mあり、土塁や空掘りなどの遺構が残っています。 慶長20年(1615)に幕府によって発令された一国一城令後は廃城。

  村田町役場の裏山の位置にここはあり、道路側より城跡の看板を見たのみである。土塁や空堀などが見られると云いますが。今回は期待していなかったので詳細の報告はありません。



  城山道理利から見た村田城



 村田小学校、 2の丸

  領主の居館や政庁は二の丸に置かれていました。

 

 

      2025-12-11

 




     荒浜小学校





    https://www.youtube.com/shorts/NUxXMEc4UfM