高杉晋作



高杉晋作の終焉の地・下関を訪ね

奇兵隊の強さ

功山寺挙兵

林勇蔵 と 吉富簡一

萩城下町 1 と 2

下関の白石正一郎宅跡を見る

 











     高杉晋作の終焉の地・下関を訪ねる

高杉晋作 1839-1867

 ここでは、すでに功山寺挙兵のこと、また、その地を訪ねたことを述べています。


 功山寺にある高杉晋作像



下関駅より 高杉晋作関連地図

JR下関駅から徒歩3分位で白石正一郎宅(中国電力ビル)に行ける。そこは奇兵隊結成の地でもある。残念ながら碑のみである。



 奇兵隊結成の地  白石正一郎宅跡

 そこから徒歩5分位で高杉晋作終焉の地へ向かう。これも小さな公園に碑があるのみである。


 高杉晋作の終焉の地

 今までほぼ駅より北に向かって歩いてきたのだが、続いて山陽本線に沿う形で厳島神社に出る。 ここにはかって小倉城内にあったが第2次長州征討での小倉口の戦いの戦利品として晋作が持ち帰り奉納した太鼓が鐘楼にある。



 下関 厳島神社の鐘楼



 萩藩新地会所跡碑 左に晋作療養地220mの案内板


 この神社の脇に萩藩新地御用所跡の木碑がある。すぐ横の細道を歩き山陽本線のガ-ドを抜けて数分で高杉晋作療養の地跡に行ける。ごく普通の民家の塀にその碑があるので、気が付くのに遅れるかもしれません。 ここで芸妓を見受けした「おうの」や野村望東尼に晋作は看病された。正室「雅子」も訪れたという。



 高杉晋作療養の地碑



 長州砲(80斤カノン砲)レプリカ、壇ノ浦砲台



 晋作の墓は東行庵(下関市吉田町1184)にあり長府の先になり、今回は訪れておりません。

 

  高杉晋作療養の墓

 「おうの」は死後に出家して東行庵で弔ったという。彼女の墓もここにある。




   下関の白石正一郎宅跡を見る


玄界灘の東風に悩まされマリ-ナに3泊することを余儀なくされた。そこで下関・小倉・新門司を訪ねる。

JR下関近くの中国電力のビルの一角に白石正一郎の宅跡がある。そこには奇兵隊発祥の地の石碑と白石の石碑があるのみです。

最近の大河ドラマ「西郷どん」の放映されたなかで西郷弟の信吾が白石から三〇両の資金を得ることが描かれていました。信吾、後の西郷従道はそれを遊興に使ってしまうのですが、白石は求められれば志士に支援をしていた。
維新後に政商にもならず、自宅も残ることはなかった。

 

中国電力敷地内

 

白石正一郎の石碑

奇兵隊発祥の地の石碑


 正一郎は弟とともに奇兵隊に加入する。

 維新後には赤間神宮の宮司になるのだが、訪れてみても彼記を記載したものや顕彰したものはみつけられなかった。

赤間神宮

  龍馬の最後の4年年表 大竹仁一さんによる
  http://www.gajoen.jp/ryoma_den.html


 2018-7-5