船員履歴
内航石炭専用船
近海セメントタンカー
長距離フェリー
近海材木船
欧州フィーダーコンテナ船
遠洋貨物船
遠洋重量物専用船
遠洋パナマックス船
などを甲板員、甲板手、
航海士として乗船
私の乗ったオアフ号、
独ーデンマークースェーデンーオランダ-英-仏-スペインの西ヨーロッパを周航
海員組合を作った男 浜田国太郎 1873-1958
海上職・自社養成船員
航海士当直勤務
最近は「船乗り」という言葉は使われなくなり「海上職」というようになったのか。MOL・商船三井での最近の募集要項は下記のようです。
採用条件
1. 三級海技士以上の資格による外航船乗船履歴を有する者。
2. 原則として、二級海技士免状及保有及び一級海技士(筆記)免状合格、もしくは一級海技士免状保有者。
3. 原則として、三級海技士(電子通信)、第三級海上無線通信士免状、またはこれらの上位免状取得者(但し、航海士に限る)
4. 連続半年以上の乗船勤務に耐えうる心身ともに健康な状態の者、および東京その他(海外を含む)での陸上勤務可能な者。
5. 短期大学(高専含む)以上の学歴を有する者。
6. TOIECにて600点以上を取得している者
飛行機のパイロットのように自社養成コ-スがある。昔のように商船・水産系の大学・高専の出身で無くても士官となることは可能となった。 一般大学卒において、文系であっても女性でも海上職に採用されれば、航海士・機関士になることができる。 日本の大手の海運会社、日本郵船、商船三井、川崎汽船がこの制度をとっている。 日本郵船の採用数は、今年度に海技者22人、航海士12人(うち自社養成コース6人)です。商船三井は海上新卒採用20名となります。
商船三井の採用では上の要綱によると、逆に商船系大学・高専の新卒では三級海技士免状を所有していても、それだけでは乗船履歴が無く、どこかで経験を得なければ採用条件を満たさない。専門学校の新卒採用を拒否しているようにも思われる。 大手の採用の意図は今までの「船乗り」を欲しているのではなく、陸上職へ使うのにベ-スとなる経験を得させようとの目論見でしょう。 自社船に日本人船員が必要と考えているのでは無いと思われる。 フィリピンに出資して商船大学を設けて、そこで士官の養成をしている。 便宜置籍船の船員はここで充分に賄えるとだと思う。 現在は欧米の1/2-1/3の給料になった日本人の給与ですから、日本人の船員を雇えるようになっているとは思えますが。
これまでの船員履歴による個人的な見解であるが、昔の話でもある。 必要とあれば、商船高専卒は20歳から士官として雇用できるので船員として雇うには都合が良かった。 船員としての需要の無い現在では過去の教育制度は必要とされないのでしょう。 大手の要求としては現場に精通している陸上勤務員が欲しいだけで、海上職はそれを支える便法になるのでしょうか。 大手の採用の意図は今までの「船乗り」を欲しているのではなく、陸上職へ使うのにベ-スとなる経験を得させようとの目論見でしょう。自社船に日本人船員が必要と考えているのでは無いと思われる。
これも私見になるが、商船大卒の船員と商船高専卒の船員では専門的知識では違いが無く、海技試験では高専卒の方が合格率が高かったようにさえ思われた。 それでも、人間的・教養的な幅において大卒は違ったものがあるように思えた。 商船大卒と偏差値の高い大学卒との違いでも、会社にとって一般大卒を使いやすいと感じていたのではないかと思われる。 陸上職という名が存在するのかは分かりませんが、今まで有名大学から数名ずつの割り当てで採用してきた新卒採用と海上職採用とはキャリアとノンキャリの格差があるのでしょうね。
大手と違い中小の会社は、便宜置籍船で外国人を雇用しているので日本人が外航船に仕事を得るのは難しい予感がします。外航船員になるのであれば、一般大学卒で自社養成コ-スに採用されれば、今まででは考えられないくらいの特例コースが用意されている。 小生は国家試験の要求される実際の乗船履歴4年を満たすために、休暇は除かれるので7年くらいの会社履歴を必要とされました。 今度の海上職で採用されれば、海技大学で半年を学び、その後1年の実習をすれば3級の海技士に受験ができる大きな特例がある。 知らぬ間に乗船履歴を重視してきた船員制度が変更になったようです。
大手2社の採用枠に入れるようなら人なら、当然に受験のプロになっておられるので、大学入試よりは易しいと言われる海技試験も楽勝で合格できるでしょう。( 合格にならねば採用されないようですが ) 昔の制度でも各学校のトップの成績の人しか大手3社には入社出来なかったので5%位の上位の成績の人しか無理でしたから、現在も海上職に入るのは難しいと思われます。
船乗りに憧れた若いころには紺や白の制服を着てブリッジで当直する姿を夢見たものだが、実際になってみると、作業ズボンにTシャツの姿であったわけで,
動画のように現在に制服姿で当直している船があるのかと驚く。 自分が経験することがなかった大手の世界では当時も制服の姿があったのかと思う。
最後に、現在でも中国に投資を拡大している大丈夫かと思われる企業があるようですが、経営者が安全保障の視点を持つのでなければ日本人船員を雇用する気持ちにはなれないのかと思われる。 ウクライナ戦争の事態が日本に起きなければ良いと思うばかりである。
2023-1-20
護送船団
ようこう型中型輸送艦LSV 建造中
護送船団方式といえば、最近まで続いた政府と企業が一体となって守っていくシステムのことです。本来の意味は戦時中に海外輸送をになう商船を海軍が守って安全な輸送を行うことです。
第一次世界大戦の折、イギリスはドイツの潜水艦に手痛い損害をうけ、日本も日英同盟による要請を受けて、地中海に船団護衛の駆逐艦を派遣した歴史があります。 第二次世界大戦の時には、前の大戦の戦訓からイギリスは日本が十分な手当をしていると誤解しておりました。 しかし、そうではなく大戦後半になって、やっと日本海軍は船団護衛司令部を設けた。その護衛隊には補助的な艦を充てるのみで、大半の商船を失うことになる。 内地への輸送が機能しないので、資源や油に事欠き敗戦の最大の理由になった。 商船乗組員の死傷率は海軍兵士のそれを大きく上回る結果となりました。
イラン・イラク戦争の時に、小生はペルシャ湾の最奥部のクエートへ油輸送パイプを日本商船で運んだ経験があります。 その時の唯一のお守りは船腹に書いた日の丸でした(笑)。
イギリス商船は湾の入り口でコンボイ(船団)を組み軍艦に守られてペルシャ湾を航行していた。 小生は大変にうらやましく思いました。 その時に日本商船はイランから攻撃を受け乗組員が亡くなっております。 戦前からの商船護衛軽視が現代でもは続いています。 政府には日本人の生命と財産は守る使命があると公言しますが、実際は絵空事でありました。
こんな現実の出来事があるということは、九条を守れと言っている人々の想像力の片隅にもないことのようです。 海外にいる邦人救助に、にアルジェリア事件の後で。海空の部隊のみによるより加えて陸上部隊でも可能にするよう検討しています(改正して可能になりました)。
今まででもイランからの邦人救出の折には、当時国営の日本航空は機能せずに、トルコ航空が救援してくれました。これは明治時代の海難救助した旧恩に報いてくれた行動であった。
商船護衛のことはまだ想定外ということでしょう。シーレーン防衛とは掛け声だけで、今のままではそれを守れるはずもなく、それでは日本が総力戦は戦えません。 頼りの日本人の乗り組みの外航日本船は絶滅したか又はほんの少数です。戦争反対を叫んでいる人々の努力のたまものでしょうか、日本は戦争できない国です。今のままならまた負けます。
2013-4-24
追記
今度のイスラエルとハマスの戦争の影響で紅海の商船の航行が侵されています。 スエズ運河の航行を商船が自粛して喜望峰まわりの航路に変更を余儀なくされている事態です。 日本人が乗っていない日本籍の商船も攻撃されています。 海賊対策で自衛艦が紅海にいるはずですが、船団護衛の話もないようですね。
2024-2-23
追記2
中国がいよいよレアア-スを止めるべき方針を打ち出しました。 このことは、利敵行為のような国会質問で首相答弁の撤回を中国が求めて起きた事態によるものです。
中国の台湾武力侵攻に際しての米国の行動に対して、 「日本は米国に支援を行うと云う」今までの法による見解を述べたものです。
中国が台湾を包囲封鎖しただけで日本のシ-レ-ンは危機に陥り非常事態です。 最近のベネズエラ大統領拉致侵攻事件で明らかになりました。 米国は西半球の権益に執着する政策のようです。極東のことは必ずしも守る意思はないように見受けられます。ゆえに、我々は緊急の対応を処置することが求められるのではないでしょうか? 今度の選挙の隠れた意味はそのことでしょう。補正予算の作成の内容でその隠れた意味が分かるかも。
トランプ氏、国防予算の6割増を議会に要求「非常に混乱し危険な時代」「夢の軍隊を構築」…財源は関税収入
日本の防衛予算は最近倍になって8兆円程度です、米国の235兆円要求に比べればその予算の差はいかに大きいか知らされます。
陸上自衛隊に海上輸送部隊が創設されましたが、緊急の拡大が求められます。
2026-1-23
海上自衛隊と航海科の充実
”あたご”と漁船の衝突事件で自衛隊の当直航海士が無罪となりました。以前にも、”くらま”の下関海峡で衝突炎上、潜水艦”なだしお”の遊漁船との衝突などが思い出されます。船乗り稼業から離れて25年ほど経ちますので、現状には疎いのかもしれません。小生の時代には無かったGPSや衝突予防装置を、今では設置しています。自衛隊には海の法律は適用されなくて、航海士の免状がなくても当直の責任者になれます。民間船にある航法記憶装置も”あたご”にはなく、どういう針路で航行したのかの記録がなく、この裁判に確たる証拠として利用できませんでした。
水産に関した学校に在籍したことがあります。漁船に乗ることもなく、商船の世界ですごしました。漁船の世界から商船に来た人は、やはり本業は魚とりですので、航法は漁場へ行くためだけ補助的手段になるためでしょう。正直に言えば、漁船から商船の航海士になるのに、慣れるまで時間を要するのが実情です。 自衛艦でも同じですね、戦闘するのがメインですから。
事故が起きた時の、社会的な問題の大きさを考えると、より航海科の充実が必要です。
そのために、
1.当直士官3名に海技免状を所有させる
2..航海科の経験のある下士官に免状をとらせて当直責任士官に任用する(現実的で効果大)
3.商船の航海士を中途採用する、これが即効性があります。
こんなことが考えられます。例え優秀といえども、防大出の士官で砲術得意で航海に未熟な人を、士官だからということで、当直責任士官に使うのは事故のもとですね。言い過ぎですが、普通自動車免許でレースに出る人はいませんね。商船では船舶が輻輳していない昼は航海士一人で当直していて、夜間は航海士と甲板手と2人で当直が現状です。しかし自衛艦は当直士官と操舵手以外に左右と後方に計3人を見張り員として5人で当直配置しいるようです。自衛艦は本船と違いは直ちに機関停止や減速が行えます。それでも事故を起こします。責任当直航海士の技量向上が必要です。
2013-6-29
船員の常務
the ordinary practice of seaman
海上衝突予防法の中に船員の常務についての条文があります。 海技試験のなかでは3級海技士(遠洋航海士)以下の免許では出題されていないと思います。ましてボート免許ではなおさらです。しかし裁判・審判になればその規定をめぐり争われることになります。基本ルールとなる行き会いの航法・横切りの航法・追い越しの航法などがあります。しかし道路と違い海上では暗礁があったりしますので、法令どうりの回避をできない状況もあります。
それでグッドシーマンシプによりて事故を避けなければならない規定が船員の常務です。遠洋航路の船員はほぼ絶滅ですが、存在したころでも、3等航海士レベルではこの法令の知識は詳しくないでしょう。既定の航法で航海しているということです。事故がないかぎり問題にならないのも事実でしょう。
潜水艦なだしおの事故の際にもヨットが近くにいたことから自衛隊側はこの規定を主張しましたが、その主張は否定されて航法が適用される審判がなされました。今回のおおすみの事故の際も貨物船の存在が報道されていますが、よく詳細はわかりません。海上保安庁捜査報告や海難審判所での判決の段階にならないと判明しないのだと思います。
高度な専門的法令解釈になりますが、ボート免許の講習でも試験に出さないまでも。講師が説明してもいいと思いますね。折角世界に稀有なアマチュアボートに対して免許制度があるのですから。皮肉です。
2014-1-18
船員の常務その2
商船学校の課題にでも出ているのでしょうか? 意外にも専門的な話題ですが、よく見ていただいております。海難事故が起こればこの問題は避けては通れないので、詳しくは判例をつぶさに研究するしかないので、実務についているものには厄介なことです。
下記は海技試験に出たものから関連です。
●口述試験の勉強本に船員の常務の具例を5つ上げよの問題があります。解答は
1. 航行船は錨泊船を避ける。
2. 風潮流の強いときは,他船の前面に接近して投錨しない
3. 風潮流の強いときは,他船の風上、潮上の航行を避ける。
4. 錨泊船は、衝突の恐れがある場合は、その能力に応じて、衝突の危険を避ける措置をとる。 注、大型船は機関始動には時間がっかりますが。
5. 台風が接近しているときは、乗組員を在船させ、予備錨の投下や、機関を準備し、避難にそなえる
●38条第2項に切迫した危険のある状況では規定の航法によらなくていい具体例として
本船は右舷側を他船に追い越される立場にあったので、針路・速力を保持して航行中に 突然に前路に流木を発見したので、短音2回の音響信号をして左転した。
潜水艦なだしおの事故やあたごの事故でも海難審判と司法裁判の結果は違ったものになりました。 裁判所が専門的な判断をもっているとは限りません。海難審判所の改革も行われました。審判所の意義は薄れています。海難裁判所にするかそれとも廃止するか問われていますね。審判記録を調べても裁判で判決が異なったのでは戸惑うばかりです。
2014-9-14
船員の常務 その3
狭水道の航法
参考航跡図
日本船B丸2000トンと外船A号7500トンとの狭水道での衝突事故について老元航海士の個人的見解ですので必ずしも正しいわけではありませんが、船員の常務とからめて書いています。
衝突までの経過
B丸は
午前7時36分大石灯標を針路0度で通過、視界・波・風・潮流とも海況には問題なし。レーダーにて南下中のA号を4カイリほどに認める。7時37分半ごろ水道の中央で出会う恐れありと認識した。互いに右に転じ水路の各右側で通過するつもりで針路を右10度にして16ノットで続行。7時42分A号を1400mに見るところで携帯信号燈にて短光1回の信号を発し小刻みに18度まで変針した。そのまま進む。7時43分相手船が右転する気配がなく400mばかりに迫った。衝突の危険を感じて7時44分少し前に12ノットに減速した。汽笛及び燈火で短音1回の信号を発した。舵を右いっぱいにしたが7時44分A号の船首がB丸の左舷中央部に30度の角度で衝突した。
A号は
7時36分少し前に右舷船首3.8カイリばかりに北上するB丸を認める。瀬戸で行きあうとすれば互いに右舷で航過するつもりで続行。7時40分少し前に正船首少し右約1.8カイリのB丸が紅緑を示すようになったので7時40分ごろ機関を停止した。7時42分少しすぎに正船首少し右1.3カイリに接近したB丸が紅燈のみで自船の前に急速に接近したが、相手船がいずれ左転すると思い神鼻の浅瀬を気にして右に舵を切るなと命令した。しかし7時43分そのまま400mばかりに接近したので、衝突の危険を感じ全速後進として右舵いっぱいとしたが効果なく衝突した。
海難審判ではこの衝突は両船が、それぞれ狭水道における適切な航法を守らなかったことによるとされた。B丸においては同水道で行きあうことを避ける措置をとらず全速で進入した。、A号においてはいったん機関停止をしたもののなお行きあう恐れがあったのにこれを避ける措置をとらずかなりの行足で進行した。これらの原因で発生した。
個人的な見解
審判の採決のとうり両船が水道の中央付近で行きあわないような措置をとるのはもちろんのことです。神鼻沖の水深の浅いところをA号が嫌って右舷対右舷の航過を想定して航行していたのは狭い水道で行きあうケースでは妥当な判断であったとはいえません。A号のみの航行なら問題ないでしょう。B丸も狭水道の法規どうりの航法を想定して航行しましたが、その想定がはずれて事故になりました。
老生も欧州のコンテナフィーダー船で船舶の輻輳する海域のドーバー海峡や北海を航海して学んだことですが、VHFの16チャンネルは必ずどの船舶も点けっぱなしで聴取しています。それを利用して相手船の進路の意向や自船の進路の希望などをやりとりして衝突防止に役立てています。そんなに難しい英語ではありません。少し聞いて慣れれば日本人でも使えます。今回の場合もB丸からA号に呼びかけて意思を伝えれば簡単に防げたと思います。A号が常識ばなれの行動をとるのならA号が呼びかけるべきかもしれません。
今回は大型船どうしの問題ですが、ここで述べた本船とヨット・漁船のケースも有効です。 最近の学生は英語力が向上しているので、学校で簡単なテキストで習得できます、その使用を促す教育をすべきでしょう。外航日本人船員が絶滅した今では日本沿海で航行している大型船は外国人による運航となっています。水先人の能力も落ちている気配も感じますが、水先法を改正して狭水道を通航するケースでは水先人を義務つけるのも良いかと思います。今回は衝突予防法にはない港則法や海上交通安全法の適用される海域ではありません。かって中国船の大型船が鳴門海峡を通航しようとして事故ったケースもありますので日本の本船乗りの常識をこえる船長さんが運航しています。改正が必要です。
上の参考図に実際の地名を挿入

参考法規
第9条 安全であり、かつ、実行に適する限り、狭い水道の右側端によって航行する。
第34条 短音・光 1回 本船は右に針路を転じている。
第14条 2隻の動力船が真向いまたはほとんど真向いに行きあう場合において衝突する 恐れがある場合は、互いに左舷側を通過することができるようにそれぞれに針路を右に転 じなければならない。今回は狭水道ですのでこの規定は適用されません。
第38条 切迫した危険のある特殊な状況ではこの法律の規定によらないことができる。
2014-9-21
「ふたば」海難慰霊碑
大畠瀬戸 その2 貨物船と橋の衝突
10月22日大畠瀬戸の瀬戸大橋でドイツ海運会社が所有する貨物船「エルナ・オルデンドルフ」マルタ船籍・船長インドネシア人・乗組員21名が橋桁に衝突した。送水管が破断して周防大島の全域で断水している。
ここで大畠瀬戸で取り上げています。 ヨットで6回ほど通航しました、ここでは500トン程度の内航船と小型フェリ-と行き会うことがほとんどでした。
かって鳴門海峡を今回のような中国の外航大型船が通航して事故を起こしたことを思い出しました。日本人船員には常識はずれの行動です。
日本人外航船員の絶滅した現在では、輸出入の船舶は船籍・船員・所有国が異なる便宜置籍が主力になっています。 おまけに水先法の規制もゆるいようで不慣れな外国人船長の判断で運航されている現状です。 今後も同様な事故は起こるでしょう。
赤線が事故船の推定航路
ブリッジクリアランスという数値があります。プレジャ-ボ-ト・ヨットの世界でも背丈の高いものにはスペックシ-トに記載されています。大型カタマラン60f以上では70-80fのクリアランスのものがあります。この瀬戸大橋は31.9mの高さですので航行する際には注意が必要です。
事故を起こした貨物船 レダ-マストが後方に折れ曲がっている
切断され橋から垂れ下がった送水管
ヨットで柳井へ向かう場合は山口県寄りに航行する。上関に向かう場合は周防大島・屋代島寄りを航行したほうが距離的に近い。
大畠瀬戸の航法
2018-12-28
海員組合を作った男 浜田国太郎 1873-1958
弓削島から「ゆめしま海道」の橋を渡って自転車で生名島に行く。2016年夏にヨットで弓削を訪ねた時、温泉に行く途中の民家に「海員組合を作った男」のポスタ-を見かけて、気に掛けていました。2017年12月再訪してみると、その海父といわれる浜田国太郎の彫像が再建されたことを知ることになり、見て来る。 先の大戦において、金属供出でそれは台座から外されていたものです。
彫像
彼は明治6年10月25日愛媛県生名島生まれ。12歳から船員生活に入り、明治26年日本郵船に入社、火夫長として各船を乗船。明治39年日本郵船の火夫長を糾合して機関部倶楽部を創立。のちに他社の船員にも呼びかけて組織を拡大し、日本船員同志会と改称して、明治45年のストライキに勝利。以後海上労働運動の指導者となり、大正3年友愛会に参加。9年ジェノバで催された第2回ILO総会に船員代表顧問として出席。帰国後船員団体の大同団結にのり出し、大正10年日本海員組合を創立し副組合長となり、昭和2年組合長に就任。10年組合長を辞任し、その後は宗教運動に関心を抱き、12年僧籍に入る。戦後は青少年の補導・教育につとめた。
中央に国際運輸労連・ITFフィンメン書記長、その隣が浜田国太郎
船員の組合は職能別・企業別・地域別など20以上に分かれていたという。1921年・大正10年に23団体が統合して日本海員組合が設立された。これは下級船員の組合であったが、海技免許を持つ職員の組合化も進み日本海員組合と密接になる。1935年・昭和10年には彼は組合長を辞職したが、組合員数10万人を超える。当時の組織労働者が40万人であったので1/4が組合に属する船員労働者であった。 戦前から年金と健康保険が船員には制度化されていた。こうした制度をつくる力に組合は貢献したのであろう。日中戦争が始まり1940年には解散に追い込まれます。 戦後は産業別単一の労働組合として再建された。1954年にはユニオンショップ制を協定。1972年91日間のストライキを決行。以上は組合史の概歴です。
外航日本人船員は1974年のピ-ク時で約57、000人から2009年に2、400人と減少しています。スキルを維持できるレベルの船員数ではありません。今では、極めて例外的に巨大タンカ-やLNG船の幹部船員として4名ほどの日本人を乗組みさせている。
大手船会社の一例です。800隻を運航して自社で200隻を管理している。それに7200人の船員を配乗して、日本人は400人程度の現状です。日本人船員の経費は船員費ではなくて管理費として計上している。運行管理で実務の経験のある日本人人材が欲しいということなのでしょう。
小さな輸入代行業者をやっているので、アメリカから船積でヨット・ボートを持ってくることがあります。荷降しの立ち合いで外国船に乗船することががあるのですが、その船の乗員構成は、職員は西欧人で下級船員はアジア系で乗組む船ばかりです。 外航船員の職場が無くなったのではないと感じます。日本の海員組合の方針が間違って外航船員が消滅したのではないかと思っています。
組合長の選挙で裁判になり無効の判決がでました。組合の事務員の不当労働行為で組合が訴えられています。いったいこの組合は何ぞやと思うばかりです。
他の組合でも組織率が下がり、正社員のための組合でしかないような状態です。かっては下級船員は乗船時のみの期間雇用で、今の派遣社員のようなものでした。浜田はそれを組織化してまとまった組合に育てました。
今の外航船員はユニオンショップ制ゆえにアジア人でも組合員として雇用しなければなりません。従い組合費を払ってくれて会員組合自体は盤石です。我が国は交易立国であるので、いったん有事になれば船員徴用が避けられないでしょう。今になっても中国に投資する経営者や経営に安全保障の理念を持たない社長さん、組合ともども反省の上に立ち手立てを考えてほしいものです。
歴史的には下記のようにえらい経営者もいました。
勝田銀次郎
勝田銀次郎
ここで800人のソ連の子供を救出した陽明丸の船主勝田銀次郎さんのことを書いています。その勝田汽船と海員組合との争議で組合長の浜田国太郎がこう述べています。 「彼が勝田汽船の社長時代に、日本の海運界がドエライ不況に見舞われて、給料の遅配・欠配で労組と対決沙汰になったことがあった。彼は家財道具まで売り払って事態の収拾にあたり、世間をアッとうならせ、組合を感激の涙でぬらした一コマは忘れれない思い出である。
彼は人を愛することに徹しきった。彼の眼中には財宝も地位も名誉もなかった。彼は “垢抜けのしたバカ” だった」
雇用主の責任を自覚している勝田さんだからこそ陽明丸の偉業をなしえたのでしょう。
2018-1-13、 2024-9-10再筆
ふたば海難慰霊碑 情島
ふたば、 日本カーフェリー所属
今回の忽那諸島クルーズにおいて、情島にあるフェリー「ふたば」の海難慰霊碑へ気持ちを捧げて参りました。 29歳の頃にそのフェリー会社の船員をしていた。その「ふたば」に配属され、休暇下船の時にその海難衝突事故が起きた。上司とお客様がお亡くなりになりました。 その後30歳の時に会社を退職する。 69歳になってヨットを購入し、広島から松山に行く機会があったので怒和島水道を通る時に献酒をして弔う。 当時の報道では、怒和島漁民が救助をしてくれてその水道において事故が起こったと小生は今まで誤解していた。
今度、津和知島を高速船で訪れる機会があり、そこを散策していて、その西岸がえらく気になったがそこへ向かうこと無く帰る。帰りは津和知島から松山へフェリーに乗り釣島へ入港することになった。 ヨットで釣島へ行くつもりであったから、下調べの港内写真を撮るために座席を離れて船のサイドへ移動している時に、突然大きな音と衝撃がして柱に1m飛ばされて頭と肩をぶつけた。フェリ-の行き足が強くて岸壁に船首をブツけた事故であった。打ち身だけで終わったけれど、小生以外には誰もケガをした乗客はいない。 不思議な縁を感じた。
中島に係留していたヨットへ帰り、パソコンで「ふたばの事故」を検索してみた。 すると、情島に「ふたば」海難慰霊碑があることが判明した。事故現場は下図のように怒和島水道ではなくて津和知島の隣の情島であった。本当は情島の漁民が救助に力を尽くしてくれたことを知った。
「フェリ-ふたば」海難現場、 宮崎日向から広島への標準・第1と第2航路
中島からの母港倉敷への帰途に、情島の水道(諸島水道・ミルガ瀬戸)を通峡して献花、情島に係留して慰霊碑に献酒する。何かに導かれて本当の処へ行ったことになる。 釣島でのフェリ-船内にて頭を打ち不思議な縁を感じることが無ければ、再び間違った怒和島水道をヨットで通行して献花・酒したことになったでしょう。
鎮魂歌 カッチ-ニのアヴェマリア 加羽沢美濃のピアノ
https://www.youtube.com/watch?v=3DtCp0Mwe_s 4分
事故の概要
昭和51年・1976年 7/2 情島と諸島(もろしま)の間の水道・ミルガ瀬戸においてフェリー「ふたば」と貨物船「グレート・ビクトリー」が衝突。「ふたば」の船客4名と乗組員1名が死亡・行方不明になった海難事故が起きた。
お亡くなりになった方
福元洋子さん 22歳
柚木章さん 56歳
田中茂雄さん 52歳
長谷川悠さん 29歳
川岡保則 甲板長 43歳
ご冥福をお祈りいたします
島の名前などを実際に改めました
ふたば海難慰霊碑。 後は津和知島
水道に献花、島には満足な生花店が無いので野の花を摘んだ
以下はこのブログでかって述べた見解 船員の常務 その3(2014年9月)です。 改めて現場を通航したので、勝手な再考・見解を述べます。
かっての個人的な見解
「海難審判の採決のとおりに両船が水道の中央付近で行き会わないような措置をとることはもちろんのことです。神鼻沖の水深の浅いところをA号(グレート・ビクトリー)が嫌って右舷対右舷の航過を想定して航行していたのは、法令の規定による「狭い水道を行きあう規定」では妥当な判断であったとはいえません。A号のみの航行なら問題ないでしょう。B丸(ふたば)も狭水道の法規どうりの航法を想定して航行しましたが、その想定がはずれて事故になりました。
老生は欧州のコンテナ船で船舶の輻輳する海域のドーバー海峡や北海を航海して学んだことですが、VHFの16チャンネルは必ずどの船舶も点けっぱなしで聴取しています。それを利用して相手船の進路の意向や自船の進路の希望などをやりとり確認して衝突防止に役立てています。 当時の日本ではその利用は稀なものであった。 そんなに難しい英語ではありません。少し聞いて慣れれば日本人でも使えます。 今回の場合もB丸からA号に呼びかけて意思を伝えれば防げたのではないかと思います。
A号が常識ばなれの行動をとるのならA号が呼びかけるべきかもしれません。今回は大型船どうしの問題ですが、ここで述べた本船とヨット・漁船のケースも有効です。 最近の学生は英語力が向上しているので、学校で簡単なテキストで習得できます、その使用を促す教育をすべきでしょう。外航日本人船員が絶滅した今では日本沿海で航行している大型船は外国人による運航となっています。水先人の能力も落ちている気配も感じますが、水先法を改正して狭水道を通航するケースでは水先人を義務つけるのも良いかと思います。今回は衝突予防法にはない港則法や海上交通安全法の適用される海域ではありません。かって中国船の大型船が鳴門海峡を通航しようとして事故ったケースもありますので日本の本船乗りの常識をこえる船長さんが運航しています。改正が必要です。」
再考 2024年11月
ふたば 要目、 総トン数 1,845トン、 全長82.9m、 幅15.5m、 満載喫水 4m
グレート・ビクトリー 要目、 総トン数 7,519トン、全長150m、幅 不明、 喫水 不明
情島と諸島の間のミルガ瀬戸(諸島水道)は300mほどの狭水道である。 実際にここをヨットにて通航して見ると、上記の要目の船が瀬戸最狭部で行き会うのは無理なように思える。 500トン程度の瀬戸内でよく見かけるガット船どうしなら可能かもしれない。 実際に本船の通航は怒和島水道では見かけたが本・諸島水道では漁船しか走っていなかった。
両船とも行き先の関係(A号:徳山とB丸:広島)で、この水道を通るのが最短になるので、船長としては通りたいところでしょう。ふたば慰霊碑のある鼻・荒神鼻はヨットから見ても白波と岩が見える浅瀬である。 ここを避けたいので通常では航路は諸島寄りになる傾向がでる。 実際グレート・ビクトリーはそのような判断で航行した。「ふたば」は最狭部で行き会いが予想されるのなら、それを避けるべく減速するか、もう一つの水道のイガイ瀬戸か怒和島水道を通る選択をするべきであったと思われる。 ミルガ瀬戸の航路は第2航路の社内規定であったようだが、やはり会社はここをはずして怒和島水道を常用航路と規定すべきであったろう。
狭い水道では右側端に寄り左舷対左舷で行き違い航行するように法令がある。グレート・ビクトリーは浅いところを避けるために左端によって右舷対右舷で航行しようともくろんでいた。船乗りの常識とは違う行動であったので事故につながったと云えよう。事故が起こった後には何とでもいえそうだ。 .... かっての身内のことを勝手に述べさせてもらった.....
半世紀余り前のことをどうのこうのと言っている。 船の名前も亡くなられた上司の名前も調べるまで忘れていた始末。亡くなられたお客様も4名もおられた。このことは頭から抜け落ちていた。 間違った場所を通航して献酒するつもりでいましたが、遅ればせながら本当の場所へ導かれて、皆様にお祈り申し上げた。 慰霊を終えて岸壁まで戻ると、老夫婦が漁を終えて作業をされていた。「ふたば」のことをお話しすると「私が一番乗りで救助をしたんだよ」小生は船名を忘却していたが、地元の人々には半世紀余り前のことでも強く記憶されておられるのです。 お話しているうちに、急に込み上げてくるものがありました。
昔からミステリ-好きであったけれど、今回のことは呼ばれたものだと思う次第です。
参考法規 海上衝突予防法
第9条 安全であり、かつ、実行に適する限り、狭い水道の右側端によって航行する。
第34条 短音・光 1回 本船は右に針路を転じている。
第14条 2隻の動力船が真向いまたはほとんど真向いに行きあう場合において衝突する 恐れがある場合は、互いに左舷側を通 過することができるようにそれぞれに針路を右に転 じなければならない。今回は狭水道ですのでこの規定は適用されません。
第38条 切迫した危険のある特殊な状況ではこの法律の規定によらないことができる。
赤・ふたば第2航路、青・ふたば第1航路、オレンジ・イガイ瀬戸航路
情島 ヨット泊地
港の入口は大変分かりにくい、防波堤と海岸が続いて見えてしまう。 接近しないと分からないであろう。 連絡船が日に4便あるようで、今回に着岸したポンツーン側かどうか不明である。 対岸の防波堤には階段が3か所くらいあるので、初めにそこへ着けて地元の人に空いているポンツーンを訪ねるのが正解であろう。
意外と秋の強い北東風をここで凌げるのではないかと思われた。西風系が吹いてもよさそうである。 買い物や給油は不便であろう。
赤丸は実際に係留した場所、 青丸は候補地
慰霊碑のある鼻の先は浅いので注意がひつよう。
情島 連絡船ポンツーン
2024-12-3
米国寄港の中国建造船に手数料徴収
第7艦隊旗艦ブル-リッジ
米国海軍の艦艇数はいつのまにか中国海軍の艦艇数に負けた。 恐るべき中国の発展である。 米国海軍の建造能力は中国の1/100にまで劣っていると云う。 最近は米国艦艇を韓国で製造するニュ-スも聞いている。 その国には、まだまだ品質に問題があるのではないかと思われるので、日本の造船業にはチャンスがあるのではないか。 トランプがそれで日本に関税を追加してこなければの話である。
軍艦を造れないアメリカ海軍がまずい状況に…
https://www.youtube.com/shorts/1kKoJKqUFA4
下記のニュ-スによると米国に入港する中国建造貨物船には新規の入港料を徴収するようである。 造船の世界一は中国であるので、今回の関税の目的が中国つぶしと徐々に判明してきているように、それとの同じ問題からのようである。
地震での中国の高層ビル倒壊や高速鉄道の建設で、中国品質には世界で問題ありと認識されてきている。造船の話はまだ聞かれないが、事故や事件でそのことは判明していくであろう。
海外の海運会社が影響を受けて、米国への用船に中国建造の船を避けるような配船変えの動きがある。 中国の船会社は米国に限らず、世界から中国船を傭船することに拒否の動きがでると思われる。
米国、中国船に入港料。バラスト入港など一部免除も。半年後から、輸送コスト上昇
https://www.jmd.co.jp/article.php?no=304707 日本海事新聞
もうすでに、海運において米国航路の配船スケジュ-ルに大きな減便や運行停止のニュ-スが入ってきている。 物流は少しの変動で大きな影響を受ける傾向がある。 運賃の下落も始まっている。 最近のイスラエルのガザ紛争において、紅海でのイエメンのフ-シ派の船舶攻撃により、スエズ運河経由の航路がアフリカ南岸の喜望峰経由の航路に変更になり、運賃高騰やの航海日数の延長で大きな影響を受けた。
最近は超巨大な20万トン以上のコンテナ船が就航して、日本には水深の関係でその船の寄港は無く、中国にその船を集約する配船になっている。 中国での集荷が大きく減少するようなら、船会社の採算も悪化して整理・集約が進むであろう。 また、造船会社の新造計画が減少して空ドックが増えたり造船会社の倒産が起きるかもしれない。 ただし、これは造船所の不足する米海軍にとっては大きなチャンスになり新造艦艇を増産することが出来て、中国海軍との差を早く詰めることができるであろう。
2025-4-30
下水道管理修理の事故
事故現場
商船のペ-ジでこの事故を取り上げている。 不思議に思われるであろう、元船員であった老生には他人事ではありません。船の仕事でも同様のことが起きる。 ドックに入っている時に、バラストタンクの点検作業中に同様の救助に向かった乗組員が巻き込まれて被害を3倍4倍に拡大した二次被害事故があった。半世紀も前のことである。それ以降に当時でも、造船所はタンクの点検の時にはタンクの底まで太いホ-スを突っ込み大量の空気を送り込み換気に注意して作業をしている。
40年余年も昔であるが、小生の船長の海技試験の受検の際に、学科問題でタンク作業中の注意事項を記述する問題が出題された。その解答に小生は二次被害を避ける解答を書いた記憶があります。 そこには事故の起きた際の救助に向かう人が巻き込まれないことを重視した解答を書きました。 詳しくは覚えていないけれども。
救助ロ-プを準備して助けに行く人にはその体にそのロ-プを固縛して、何かの時にはいつでも引き上げるようにすること。 また、救助者を引き上げるようにもう1本の引き上げ索も準備する。 救援者は酸素吸入器具を装着して救助に向かう。事故者にあてがうもう一つの酸素吸入具も必要でしょう。 今回のような4人の作業であれば救援要員1名を、さらに上に待機する引き上げ要員として2名の人員が必要であろう。 引き上げウインチがあればなを良いでしょう。
事故の救助マニュアルを作成しておき、事前の救助訓練も必要である。 さらに、作業員には国家試験をして必要知識を学ばさせておく。
部外者がうかつなことは云えないけれども、今回は私見になるが会社の管理責任は重大であると思われる。 まだまだ復旧作業をしている先の道路陥没事故が他にも影響を与えたようです。
労働安全を管轄するお役人さん仕事をしてください。
埼玉・行田マンホール事故、 埼玉新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/ede3a2724e1f4df3df0be0142467b81e488e70ec
2025-8-9
江戸の海運 東回り航路
江戸時代の航路
2025年の春巡航で亘理町の荒浜へ行く。 この江戸時代の航路の知識はありませんでしたが、この地は河村瑞賢が開いた江戸時代の東回り航路の出発点であったのでした。 荒浜やその他の寄港地はには、来年の春までヨットを係留し、岡山の母港に帰ることになるので、その詳細を報告することになるでしょう。
江戸は家康が開いた街で、開けていなかった土地に参勤交代で三〇〇藩に及ぶ武士とその家族が住むことになる。お米屋その他の日用品を外部から江戸に入れなければならなかった。 当時の輸送の大きな手段は海運によるものであった。 幕府天領の年貢米を阿武隈川を利用して東回りの航路にて運んでいた。 最初は銚子でいったん荷下ろしして利根川の水運を利用して江戸に運んだ。河村瑞賢はそれを海況の悪い房総を廻る航路ではなく、下田ないし大島周りで江戸に運ぶ東回り航路を開発した。
彼は酒田から日本海を下り瀬戸内を通る西廻り航路も瑞賢は開発した。それは江戸中期以降に北海道へ向かう北前舩の航路に発展した。
大阪から江戸へは上図のように菱垣廻船の航路や後に樽廻船の航路があった。
弁才船・べざいせん、 300石罪から1000石へ時代とともに巨大化
江戸時代の海運
https://www.youtube.com/watch?v=Eaxl2-rGx80 22分
2025-8-29
コンテナ船 欧州直行便消滅
ONE社の地中海航路表
邦船大手3社のコンテナ船事業を統合したオーシャン・ネットワーク・エクスプレス(ONE)の上図を見てもお分かりのように上海、高雄、釜山とあるように日本の寄港地はありません。 下記の日本建造の運航するコンテナ船も日本医は寄港しません。
ONEの世界最大級コンテナ船、
今治造船西条工場で建造された世界最大級のコンテナ船「ONE INTEGRITY(ワン・インテグリティー)」です。この船は、全長約400メートル、幅は60メートルを超えます。
30年ほど海外ヨットをお世話する仕事についていましたが、コンテナ船がここまで大きくなるとは想像できませんでした。ニュ-ヨ-クやフロリダの各港より商船三井のコンテナ船で運んだことがあります。その時には日本の大手3社の船会社は独自に運航していました。3万トンくらいのコンテナ船でした。それが10万トンになり現在は23万トンになりました。 かってタンカ=の場合も年々巨大化して50万トンにまでなりましたが、コンテナ船もそうなるのでしょうか? 大きくなりすぎてマラッカ海峡が通航できずにロンボク海峡を通ることになりましたが、現在は50万トンたんかーの話は聞かなくなったので20-30万トンにおちついたのかもしれません。
高収益と効率を求めるとどんどん船は巨大化して、船会社も集約していくのは資本の論理でしょう。 日本の港への投資は地方への配慮を重視して分散投資になり今回のような巨大コンテナ船の水深に会うようなコンテナヤ-ドが無いので配船できない事態になりました。 高市政権の成長投資で一つで良いのでこの船の接岸できる港・コンテナヤ-ドを造ってもらいたいものです。30年に及ぶ緊縮財政にとる港湾行政により、かっては神戸・横浜と世界の主要港は没落していきました、日本の大手船会社3社も1社にまとめて運行しなければならなくもなった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/88e088f8d039938ee6b3c2349ec0f1ddd1f53890
2026-1-21
韓国に負けた?マリン業界と港湾事情
小生の取り扱っているボートを積んだ香港船籍の2万トンの本船が台風から逃げながら明日横浜入港です。それはフロリダからパナマを抜け、コスタリカ・メキシコ・カナダでボートの積み降ろしをしながら、なんと日本を通過して韓国へ入港し、昨日釜山を出て明日日曜日に日本へ入港です。今回はうちのを含めて3隻です。韓国の方が多くて最初に入港の段取りになったのでしょう。負けましたね。
釜山はアジアのハブ港湾として日本を抜き去りトップの位置です。日本はいまだに日曜荷役をしないようで、今回の船会社は入港と同時に荷役をして、ボートを降ろして直ちに出港したい意向のようですが、いまだに予定が決まらず、ヤキモキしています。月曜日の荷役が7割の確率だと云うのが昨日の連絡でした。
荷役形態がコンテナ化される以前の貨物船レベルの時に、50年ほど前ですが、当時の荷役人夫がほとんど日雇いで、その人々を保護するために決めた法律・慣習です。港湾労働者のための日雇い保険制度も整備され、仕事のないときのためのアブレ手当などもありました。現在は不明? 学生の頃のバイトで山谷の労働者を朝早く港の職安まで・はとバス・で運ぶ車掌をしばらくやったことがあります。当時2-3時間で1000円のおいしいバイトでした。話がそれてきましたが、日雇いの人たちにはそれなりの当時は配慮していたということです。
日本はいったん決めたことは既成事実化して、なかなか変えられません。全国に税金を使って似たような中小港湾を大量に作りましたが、神戸震災のあと本船の大型化の波にのれず、韓国・香港・上海・シンガポールの24時間荷役をする大きなハブ港湾に負けてしまいました。地方港湾は釣堀となっています。港の集約化と効率運用が求められます。
こんな本船のデッキに艇を積んで輸送します。
2013-8-31