我がヨット巡航 2023年春まで
大西洋横断
2023年 秋巡航
徳島の遍路寺と神社
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2023年 秋巡航 航程図
初めは小豆島、小鳴門、徳島、和歌山、淡路島、明石海峡経由で巡航するつもりであった。小鳴門を通峡して撫養に停泊する。徳山へ出端に機関オーバーヒートで停止、2ノットの帆走で徳島は向かった。ホンダワラの吸い込みが原因であったが気力が失せ、和歌山を断念して、今度は鳴門海峡を航行して帰ることにした。
徳島では19か所の遍路寺と天照とえびすさんの誕生地など天皇家のル-ツとされる30余の神社に行くことが出来た。お遍路さんはその後に香川県で17か所を訪ねトータル36か所で徳を積んだ。 昨年の五島の教会といい、カソリック・仏教・神道と多くを訪ねたので、巡航中に入院しても最後には救っていただいている。 アリガタヤ。
青字はお遍路と神社 下線クリックして詳細へ (適宜挿入)
10/13 倉敷・児島到着
10/15(日) ドージャー補修製作開始
10/16 下津井の名曲喫茶へ行く
10/18 オイル交換、燃料とオイルストレーナー交換
10/20 ドージャー製作終了、 宇野へ練習帆船・海王丸を見に行く
10/22(日) 縄梯子の塗装
10/24 ドメステイック・予備リチウム電池に2000wインバーター取付
10/25-27 UW1に上架、 船艇塗料、ペラクリン塗装
10/28 着岸も失敗して船首ポールをぶつけて船首キャビン水漏れ発生
10/29(日) 燃料漏れ点検修理
10/30 ヨット仲間・片岡さん帰京
10/31 ヤンマー部品到着、燃料ポンプ交換
11/1 秋巡航開始 児島―小豆島・坂手
11/2 24の瞳館・映画村へ
11/3 坂手ー撫養・鳴門 小鳴門通峡
11/4 ホンダワラの吸い込みにより機関冷却不足、 撫養―徳島・ケンチョピア
11/5(日) ケンチョピア泊、 JR池谷駅行き、阿波神社、天皇神社、天河別古墳、萩原2号古墳
11/6ー11/13まで ケンチョピア泊、 銭湯、コインランドリー
11/7 坂東捕虜収容所、 徳島城、 #1霊山寺、#2極楽寺、#3金泉寺、#4 大日寺、#5 地蔵寺、#6 安楽寺、#7 十楽寺 #8
熊谷寺、 #9 法輪寺、#10切幡寺
11/8 事代主神社、樫原神社、鴨神社、建夫津神社、熊野神社、伊邪那美神社、倭大國魂神社、 貞光うだつの街並み
11/9 新宮神社、白人神社、神明神社、三木家、東宮御所神社
11/10 忌部神社、山崎忌部神社、御所忌部神社、穂積忌部神社、加茂神社、東道神社、#11藤井寺 (#12焼山寺を除く)
11/11 #13大日寺、#14常楽寺、#15国分寺、#16観音寺、#17井戸寺、 、歯の辻神社、船盡神社、蔵本八坂神社
八倉比売神社 大御和神社 、矢野古墳、豊国神社 八鉾神社、賀志波比売神社、津ヶ峰神社、
11/12 (日)法谷寺、常厳寺、 宅宮神社、熔造皇(ようぞうのすらめ)神社, 八人塚古墳、経塚大権現、
佐野神社、 勝占神社、五王神社、
11/13 、#18恩山寺、#19立江寺、#20鶴林寺、
11/14 徳山―鳴門海峡―引田再訪
11/15 引田泊 馬宿・聖徳太子生誕地
11/16 引田泊、 JRで徳島池谷駅行き、大麻比古神社、ドイツ館、 天村雲神社、 芦稲葉神社、稲荷神社
11/17 引田泊 JRで徳島勝瑞駅行き、住吉神社、応神町、仁徳橋 、 藍の館
11/18 引田泊 JRで志度駅行き、#86志度寺 #87長尾寺 #88大窪寺
11/19(日) 引田泊、JRで屋島駅行き、 #85八栗寺、 #84屋島寺 屋島城
11/20 連れ合い引田着 温泉
11/21 引田―高松
11/22 高松市立ヨット競技場泊、JRで八十場と国分行き、#79天皇寺、#80白峰寺、 #81國分寺、 #82根香寺。#83一宮寺
11/23(祭) 高松―宇野・再訪、 たまの湯
11/24 宇野伯 直島へフェリーで行く、直島見学 、たまの湯
11/25 連れ合い帰る。 宇野ー母港児島着
11/26 メインキャビン後片付け
11/27 後片付け、 フェンダー修理
11/28 下津井船具屋行き、 船外アース金物変更製作
11/29 フォクスル漏水修理
11/30 JR宇多津、多度津、金蔵寺、善通寺駅へ、 #78郷照寺、#77道隆寺,#76金蔵寺、#75善通寺, #74甲山寺、#73出釈迦寺
#72曼荼羅寺、#71弥谷寺
12/1 秋巡航終了、埼玉自宅へ帰る
2023-12-2
2024年 春巡航 四国一周
イビザとマジョルカ
バレアレス諸島、 イビザ島とマジョルカ島
PING 906、 52fステイールケッチ
スペインにいた友人の佐野と共同でマジョルカ島のパルマのマリ-ナにあったオランダ人家族が乗っていた52fのステイ-ルケッチ「PING906」を購入した。
二人で1か月余り英国とスペインにある中古ヨットを探した。 今から振り返っても楽しく懐かしい旅でもあったと思える。 ロンドンではレコ-ドで聞いていた古楽の合奏団やヘンデルのメサイヤの演奏会をを聞くことが出来た。
2夫妻が乗るということで大き目のヨットを選んだが、スエ-デンヨット42やホルベルグラシ-42などを買うチャンスがあった。そちらの選択のほうが良かったかもしれない。
マジョルカ島のアレナルヨットハ-バ-に係留することになる。 船乗りをしていたので7-8か月の乗船で2か月余りの休暇のときにスペインへ行き、ヨットを楽しむことになった。 要するにこの時期は年中海の生活をしていた。
海賊の城のある島カブレラやマジョルカ島の南岸、イビザ島を楽しむ。 長いものはイタリアのサルデイニア北岸まで足を延ばした。
パルマからササ-リまで
今思えば40歳代のことになり、30年以上の前のことである。当時にはブログも無い時であり記帳して残してもいなかった。 老人の記憶によるものですので、多少のことは許されたい。
共同オ-ナ-の佐野が一部を残してくれています。 詳しくはこちらもご覧ください。
地中海クル-ズ 佐野による
2022-1-11
我がヨット巡航
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大西洋横断
大西洋横断
今となっては30年を過ぎた昔話である。佐野所有のニコルソン39ケッチにてペペと小生の3人で大西洋を横断した。
佐野との共有していた52fケッチを売り、小生は日本で家にそのお金を使う。 佐野は米国人より39fのヨットを購入した。 それをアメリカに持っていくのにスペイン・マジョルカ島のアレナルヨットハ-バ-より出発した。
マジョルカ島 アレナルとパルマ
スペインの南岸をジブラルタルへの航行中、当時はGPSという便利なものは無かった。チャ-トと灯台頼りの夜間航行中、灯台を目指して航行中であった、崖の上の道路上を車のライトが飛行機のように見え不思議な光景であった。 霧の視界が悪い中で、今思えば灯台よりの離間距離をとって航行しなければならなかった。 突然ドスンと止まってしまった。 のし上げたようだ。 灯台近くの位置であった。朝まで待ち、なんとか離礁して近くにあったフェンヒロ-ラのマリ-ナに行き、そこで修理作業を行った。 ロングキ-ルのハルであったので船艇に小さい穴があいたのみで浸水はなかった。 その修理はガラス繊維で覆うだけで良かった。
赤丸は座礁地点
赤丸はジブラルタルマリ-ナ
ジブラルタル海峡を抜け地中海とは別れて大西洋に突入。 ジブラルタル空港隣のマリ-ナへ停泊した。 ジブラルタる要塞や飛行場横にあるスペインとの入国検問所を通りアルジェシラスを訪ねた。
ラスパルマス
ジブラルタルよりアフリカモロッコ西岸沖を航行してカナリア諸島のラス・パルマスに停泊した。
30年もたつとすっかり港の様相が一変していて、停泊場所を探すことができない。 当時は公共岸壁にこれから大西洋に向けて旅立つヨットが縦付けに停泊していた。 地図の赤地点はカジノがある場所であるがその近くに停泊した。 おまけにそこで散財するために3日も出港を延期した。
ここと同じように地中海の諸港はマリ-ナが整備されていて、港内にアンカ-で停泊したり、公共岸壁に停泊する場所が少なくなっているように思える。
マルテイニーク島
ラス・パルマスよりしばらく南下してトレ―ドウインド(貿易風)をつかみ西航してウインドワ-ド諸島のひとつフランス海外県マルテイニ-ク島をめざす。
貿易風の風は予想外に強くビュ-フォ-ト階級の風力4-5であった。 追手ゆえにヨットはロ-リングをくりかえしながら左右に艇体をゆらしながら快調にすすむ。 正中時の天測で正午位置を求めてサテライトナビゲ-タ-で求める船位の確認をした。 ヨット天測はこちらのペ-ジをご覧ください。
ペペは日本の武道の名手でありすぐれたコッックであったので、動揺する船内でテンプラなども作ってくれて、25日の横断中は帰って太ってしまった。
マルテイニ-クに近ずいてからは夜が明けて午前中にそこへ到着するようにセ-ルを縮帆して時間調整を行う。 マルテイニ-クのランドフォ-ルは勘当である。 横断したものの特権でしょう。
マラン沖の赤丸にアンカ-停泊
マルテイニ-クの南端の岬を回った湾は貿易風を押さえた理想的な湾である。 そこは横断を終えたヨットが多く停泊していた。 その中に仏人と結婚した日本女性や家族で32fのヨットでやってきた人もいます。
小生のカミさんもNYから飛行機を乗り継いでここにやって来ました。 島内めぐりをして楽しんだ。 小生はここで下船してパリ経由で日本へ帰る。 パリではル-ブル美術館を3日間堪能した。
このあと佐野夫妻は数年に渡ってカリブ海を周航した。 ハリケ-ンに会ってこの艇が80mも飛ばされて陸揚げされ、それを佐野は再び航行できるように就航させた、後日談がある。
老年の乏しい記憶をたどりながらの昔の横断話でした。 今は変わってしまってお役に立つことは少なくなりましたけれど。
2022-1-16