我がヨット巡航 2023年春まで
大西洋横断
2025年 春巡航 石巻へ 48年ぶりに日本一周を達成
2025年 秋巡航 東北の城めぐり
2023年 秋巡航
徳島の遍路寺と神社
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2023年 秋巡航 航程図
初めは小豆島、小鳴門、徳島、和歌山、淡路島、明石海峡経由で巡航するつもりであった。小鳴門を通峡して撫養に停泊する。徳山へ出端に機関オーバーヒートで停止、2ノットの帆走で徳島は向かった。ホンダワラの吸い込みが原因であったが気力が失せ、和歌山を断念して、今度は鳴門海峡を航行して帰ることにした。
徳島では19か所の遍路寺と天照とえびすさんの誕生地など天皇家のル-ツとされる30余の神社に行くことが出来た。お遍路さんはその後に香川県で17か所を訪ねトータル36か所で徳を積んだ。 昨年の五島の教会といい、カソリック・仏教・神道と多くを訪ねたので、巡航中に入院しても最後には救っていただいている。 アリガタヤ。
青字はお遍路と神社 下線クリックして詳細へ (適宜挿入)
10/13 倉敷・児島到着
10/15(日) ドージャー補修製作開始
10/16 下津井の名曲喫茶へ行く
10/18 オイル交換、燃料とオイルストレーナー交換
10/20 ドージャー製作終了、 宇野へ練習帆船・海王丸を見に行く
10/22(日) 縄梯子の塗装
10/24 ドメステイック・予備リチウム電池に2000wインバーター取付
10/25-27 UW1に上架、 船艇塗料、ペラクリン塗装
10/28 着岸も失敗して船首ポールをぶつけて船首キャビン水漏れ発生
10/29(日) 燃料漏れ点検修理
10/30 ヨット仲間・片岡さん帰京
10/31 ヤンマー部品到着、燃料ポンプ交換
11/1 秋巡航開始 児島―小豆島・坂手
11/2 24の瞳館・映画村へ
11/3 坂手ー撫養・鳴門 小鳴門通峡
11/4 ホンダワラの吸い込みにより機関冷却不足、 撫養―徳島・ケンチョピア
11/5(日) ケンチョピア泊、 JR池谷駅行き、阿波神社、天皇神社、天河別古墳、萩原2号古墳
11/6ー11/13まで ケンチョピア泊、 銭湯、コインランドリー
11/7 坂東捕虜収容所、 徳島城、 #1霊山寺、#2極楽寺、#3金泉寺、#4 大日寺、#5 地蔵寺、#6 安楽寺、#7 十楽寺 #8
熊谷寺、 #9 法輪寺、#10切幡寺
11/8 事代主神社、樫原神社、鴨神社、建夫津神社、熊野神社、伊邪那美神社、倭大國魂神社、 貞光うだつの街並み
11/9 新宮神社、白人神社、神明神社、三木家、東宮御所神社
11/10 忌部神社、山崎忌部神社、御所忌部神社、穂積忌部神社、加茂神社、東道神社、#11藤井寺 (#12焼山寺を除く)
11/11 #13大日寺、#14常楽寺、#15国分寺、#16観音寺、#17井戸寺、 、歯の辻神社、船盡神社、蔵本八坂神社
八倉比売神社 大御和神社 、矢野古墳、豊国神社 八鉾神社、賀志波比売神社、津ヶ峰神社、
11/12 (日)法谷寺、常厳寺、 宅宮神社、熔造皇(ようぞうのすらめ)神社, 八人塚古墳、経塚大権現、
佐野神社、 勝占神社、五王神社、
11/13 、#18恩山寺、#19立江寺、#20鶴林寺、
11/14 徳山―鳴門海峡―引田再訪
11/15 引田泊 馬宿・聖徳太子生誕地
11/16 引田泊、 JRで徳島池谷駅行き、大麻比古神社、ドイツ館、 天村雲神社、 芦稲葉神社、稲荷神社
11/17 引田泊 JRで徳島勝瑞駅行き、住吉神社、応神町、仁徳橋 、 藍の館
11/18 引田泊 JRで志度駅行き、#86志度寺 #87長尾寺 #88大窪寺
11/19(日) 引田泊、JRで屋島駅行き、 #85八栗寺、 #84屋島寺 屋島城
11/20 連れ合い引田着 温泉
11/21 引田―高松
11/22 高松市立ヨット競技場泊、JRで八十場と国分行き、#79天皇寺、#80白峰寺、 #81國分寺、 #82根香寺。#83一宮寺
11/23(祭) 高松―宇野・再訪、 たまの湯
11/24 宇野伯 直島へフェリーで行く、直島見学 、たまの湯
11/25 連れ合い帰る。 宇野ー母港児島着
11/26 メインキャビン後片付け
11/27 後片付け、 フェンダー修理
11/28 下津井船具屋行き、 船外アース金物変更製作
11/29 フォクスル漏水修理
11/30 JR宇多津、多度津、金蔵寺、善通寺駅へ、 #78郷照寺、#77道隆寺,#76金蔵寺、#75善通寺, #74甲山寺、#73出釈迦寺
#72曼荼羅寺、#71弥谷寺
12/1 秋巡航終了、埼玉自宅へ帰る
下記の旧船中発策においてはクリックして詳細がみられます
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2023-12-2
2024年 春巡航 四国一周
ヨット四国88ヶ所お遍路の旅
4月の半ばより6月の半ばまでの期間において、昨年秋の巡航の続きになるお遍路の旅をしてきました。下記の項目の詳しくは下線リンクしてご覧になるようしていきます。 それの日数はしばらくを要することになります。
4/17 倉敷着、 ヨット就寝中に四国愛南地震警報が鳴る
4/18 年間係留代を岡山県に納付
4/19 宇野へ行く
4/20 バッテリー届く
4/21(日) メインバッテリー交換
4/22 室内はしご作成、 ポータブルリチウム電源130A作成
4/23 バッテリーチャージャー20A購入
4/24から4/26まで ドック、 船艇塗料塗り
4/27 左右乗降補助台作成
4/28【日) キャビン内はしご作成
4/29 倉敷-仁尾マリーナ 2024年春巡航開始
4/30 お遍路再開、JR観音寺駅、お遍路10 68番神恵院、69番観音寺、70番本山寺、67番大興寺、ロープウエイで66番雲辺寺
5/1 JR伊予三島駅、お遍路11 65番三角寺
5/2 JR伊予西条駅、 お遍路12 61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺、64番前神寺
5/3 仁尾-新居浜マリ-ナ、
5/4 お遍路13 横峰寺登山バスにて60番横峰寺 、 森家住宅
5/5(日) 新居浜マリ-ナ-今治海の駅、お遍路14 55番南光坊、54番延命寺、56番泰山寺、57番永福寺、58番仙遊寺、 59番国分寺、
5/6 国分山城
5/7 今治にてレンタサイクル
5/8 今治ー松山堀江海の駅 荒天ウネリ入る
5/9 梅木さん来る、 お遍路15 53番園明寺、52番大山寺
5/10 、梅木さんの車にて、お遍路16 50番繁多寺、45番岩屋寺、44番大宝寺、51番石手寺、46番浄瑠璃寺、47番八坂寺、48番西林寺 49番浄土寺、
5/11 松山城、 道後温泉
5/12(日) 堀江ー松山・中島
5/13 黒岩城、本山城、熊磯城、九多児城
5/14 中島ー伊予長浜
5/15 JR卯之町駅 お遍路17 43番明石寺、JR宇和島駅 42番佛木寺、41番龍光寺
5/16 荒天、 長浜散歩
5/17 長浜―佐多岬・三崎
5/18 三崎―愛南かわうそ村海の駅
5/19(日) バスにて宿毛へ お遍路18 40番観自在寺、39番延光寺
5/20 紫電改記念館、 ペラの海草除去潜水
5/21 かわうそ村―足摺 ジョン万次郎記念館、お遍路19 38番金剛福寺
5/22 足摺―土佐佐賀
5/23 JR窪川駅 お遍路20 37番岩本寺 窪川散歩
5/24 土佐佐賀―土佐久礼
5/25 JR土佐伊野駅 お遍路21 36番清龍寺、35番清瀧寺、34番種間寺、33番雪蹊寺、龍馬像
5/26 土佐久礼―高知ヨットクラブ
5/27 お遍路22 28番大日寺、29番国分寺、30番善楽寺、31番竹林寺、32番禅師峰寺、
5/28 荒天
5/29 高知城、龍馬生家。
5/30 高知ー安芸 インペラ破損により奈半利より安芸に変更
5/31 くろしお鉄道唐浜駅 お遍路23 27番神峰寺、 安田の街並み、 龍馬の姉夫婦の墓
6/1 安芸―室戸岬
6/2(日) 吉良川の街並み、お遍路24 26番金剛頂寺。25番津照寺、24番最御崎寺
6/3 中岡慎太郎生家と記念館
6/4 甲浦漁港、海の駅東洋町、デユアル・モード・ビークル乗車、和奈佐意富曽神社、阿波海南文化村
6/5 山田宅
6/6 室戸岬ー日和佐
6/7 お遍路25 23番薬王寺、 22番平等寺、 日和佐城、
6/8 JR阿南駅 ロ-プウエイ お遍路26 21番太龍寺、 湯谷神社、 若杉山鉱山遺跡
6/9(日)
6/10 日和佐―徳山沖洲マリンタ-ミナル
6/11 沖洲ーケンチョピア海の駅
6/12 カミさん来着
6/13 お遍路27 12番焼山寺 ここで88ヶ所お遍路結願した。
6/14 長崎のヨット仲間がキャンピングカーで来航
6/15 仲間と1番霊山寺、坂東捕虜収容所跡、大麻比古神社、鳴門大橋渦の道
6/16(日) JR阿波池田駅 祖谷渓谷観光バスツアー参加
6/17 カミさん帰る、 ケンチョピア―坂手・小豆島
6/18 荒天 草壁海の駅見学
6/19 坂手―倉敷 2024年春巡航終了
6/22 倉敷より自宅へ帰る
2024-6-23
2024年 秋巡航 忽那七島
その1 児島から中島
その2 忽那諸島
忽那諸島への連絡船航路
今度の巡航は忽那海賊のゆかりの島々を訪ねることであった。松山市に中島町は合併したことから、市の教育委員会や観光局は忽那海賊を取り上げる意向が薄れてしまったようだ。 現地の島々には案内の立て札は存在しない。 それゆえに現地へ行くには、余ほど十分な下調べが必要ということになる。
10月30日に船検があるということで9月25日に小生はマリ-ナ入りを果たしたが、受検の日程が1週間延期されてしまった。 例年なら台風の本土上陸が止む10月半ばごろからクルーズの計画を立て、 実行していたけれど、今回は船検の統合で早めに児島へ来た。 今年は夏の猛暑を引きずっていた来訪日であったので出港する日までクソ暑さに参った。 クル-ズを終えて11月初めの帰港日まで、北東の強風に悩まされてヨットで訪問するはずの島々の泊地の情報が不確かなため、忽那諸島にはフェリーや高速船を利用することが多くなった。 この時期の天候は季節の変わりに目あたり悪天候が続いた。低気圧接近して雨の日のほうがヨットにはむしろ良かった、その後高気圧が張り出してくるとその周辺の強風が続き悩まされることになる。かって伊予灘の北東風の時化にエライ目にあった覚えがある。
泊地情報は足で稼いできたつもりであるので、この後ここでご報告申し上げられるであろう。
30歳までの47年前に、フェリ-の乗組員をしていた。休暇で下船した後にその2000トンのフェリーが衝突して沈没した。上司とお客さんが亡くなられた。 誤解していたその位置も判明してお花とお酒を海難慰霊碑に捧げることができたのは、最大の幸運であった。
巡航日程
9-25 児島到着
9-26 船検備品購入に岡山マリンへ、 火薬類は購入できず
9-30 下津井船具屋にて 小型船用火せん註文
10-1 鷲羽山 展望台へ行く
10-2 セールカバー縫い
10-3 ヤンマー部品注文
10-4 火せん 受け取り
10-7 JCI 定期検査 沿岸小型合格
10-8 検査合格書類を受け取りに岡山JCIへ
10-9 機関ストップワイヤ-交換
10-11 機関ミキシングエルボ交換
10-12 熊山遺跡、吉備津神社、王墓山古墳、楯築遺跡らを見学
10-14 児島より弓削海の駅、
10-15 弓削泊、 潜水して船底カキ落とし
10-16 弓削より下蒲刈へ、 下蒲刈泊
10-17 下蒲刈より中島へ、 中島泊
10-18 中島泊、 泰ノ山城 再訪、 長善寺、黒岩城 再訪、
10-19 中島泊、 フェリーにて松山三津浜へ、道後温泉、忽那山城へ
10-20 中島泊、 風速20mにてフェリ-欠航、 島内バスにて島一周、忽那公碑
10-21 中島泊、 フェリ-にて睦月島へ、梅の子城、梅の子砦、高速船にて野忽那島へ里山へ
10-22 中島より松山三津浜商業港へ、 松山商業港泊
10-23 松山商業港泊 フェリーと高速船にて二神島と津和知島へ、釣島にてフェリーが岸壁衝突事故で頭部と肩に打ち身、
10-24 松山商業港より再度中島へ、 途中に釣島入港、 中島泊、10-25 中島泊、 高速船にて松山高浜へ、興居島へフェリ-にて渡る、道後温泉で入浴
10-26 中島泊、 怒和島の元怒和と上怒和にフェリーと高速船で行く、中島小浜地区
10-27 中島より情島へ、 ふたば海難慰霊碑へ、情島より柱島へ、柱島より倉橋島海の駅へ、 倉橋島泊
10-28 倉橋島泊、 宮の口の街並み,室尾の街並み
10-29 倉橋島泊、 バスにて呉行き、 呉湾内クルーズ乗船
10-30 倉橋島から音戸早瀬、音戸の瀬戸と女猫の瀬戸経由で下蒲刈へ、 下蒲刈泊
10-31 下蒲刈泊、 蘭島閣美術館
11-1 下蒲刈から弓削へ、 弓削泊
11-2 弓削泊、 インランド温泉入浴
11-3 弓削から児島へ
11-4 児島泊、 バックステイアジャスターロ-プ交換
11-5 児島泊、 大型俵フェンダー製作
11-6 児島泊、 機関冷却サーモスタットとゴムホ-ス交換
11-8 わが家へ帰還
2024-11-10
2025年 春巡航 石巻へ 48年ぶりに日本一周を達成
2025年春 倉敷から石巻まで
48年前の宮崎県日向より宮城県石巻まで
30歳の時に初代速魚により石巻で中断していた日本一周クル-ズを、今回の2025年春巡航にて空白であった関東より石巻の航路を無事走り終えることができました。 48年の時を経て遅まきすぎますが、やり遂げることになる。 ヨット人生の区切りをつけることができました。 お世話になった皆様に御礼申し上げます。
5-2 倉敷着
5-3 荷物受け取り
5-5 船具屋亀仙にて船艇塗料他購入
5-7 ドック入り
5-10 船底とペラ塗装終え ドックを出る
5-12 長崎よりUサン来る
5-13 ヤンマー2GM冷却水ポンプ交換
5-14 春巡航開始 倉敷-小豆島草壁
5-15 草壁-徳島ケンチョピア
5-16 ケンチョピア-和歌山マリ-ナシテイヨットクラブ
5-18 マリ-ナシテイ-印南
5-19 印南-周参見
5-20 周参見-串本
5-21 串本―新宮
5-22 新宮-二木島 友人Hさん来船
5-23 二木島-錦
5-24 避泊
5-25 錦-奈屋浦
5-26 奈屋浦―波切
5-27 波切-神島
5-28 神島―御前崎
5-29 御前崎―下田
6-2 下田―伊東マリンタウン
6-3 伊東-船形
6-4 船形-千倉
6-5 千倉-大原
6-6より6-8まで 大原避泊
6-8 大原-銚子
6-10 鹿島神宮、香取神宮、佐原、伊能忠敬記念館
6-14 波崎漁港視察
6-16 Uさん再来
6-17 銚子-大洗久慈
6-18 久慈-小名浜サンマリ-ナ
6-19 小名浜-松川浦
6-20 松川浦―亘理荒浜フィシャリ-ナ
6-21 荒浜フィシャリ-ナ避泊
6-22 荒浜フィシャリ-ナ―石巻、 48年ぶりに日本一周達成、 Sさん来る
6-23 石巻泊
6-24 石巻-荒浜フィシャリ-ナ
6-25 荒浜泊 カミさん来る
6-26 仙台青葉城
6-27 白石城、薬師温泉
6-28 カミさん帰る
6-29 フェンダ-修理
6-30 荒浜フィシャリ-ナの3月までの代金支払い
7-1 荒浜フィシャリ-ナの係留開始
7-2 J社ポ-タブル電源の返品、 整備後片付け
7-5 2025年春巡航を終える、帰宅
2025-7-5
2025年 秋巡航 東北の城めぐり
2025年の秋は亘理の東北花火大会を見るのに合わせて始まる。 お世話になった先輩Sさんとクル-ズの同航が今回の目的であった。 台風の時期を避けることや先輩の諸事情で延期が続いて、上図のような「てっちゃん」の旅行といえるようなものになった。ヨットを出したけれど船底の汚れで3ノット程度しかスピードだ出ずに、猫の島田代島を訪ねるのみで終わった。 とても巡航と呼べるようなものではない。 言って見れば東北城廻りである。・
9-25 宮城県亘理町 荒浜フィシャリ-ナ着
9-26 カミさん来る
9-27 亘理花火大会
9-29 カミさん帰る
10-2 エンジンオイル交換
10-3 鳥の海公園散歩
10-4 河村瑞賢 東回り航路 荒浜
10-6 太雄寺、 小堤城、 称念寺、 亘理城主歴代墓所、
10-8 JR大河原へ,村田蔵の街並み、 船岡城、 岩沼要害城、 亀塚温泉
10-10 JR塩釜へ、 塩釜JCIにて母港変更届、 七ヶ浜
10-12 Oさん来訪
10-13 JR相馬へ、 相馬城、
10-14 JR仙台へ、 瑞鳳殿、 大崎八幡宮
10-16 JR山形へ、 山形城、 七日町
10-17 JR名取へ, 閖上ヨットハーバーへ、 仙台空港
10-18 山元町へ サイクリング、大地の塔
10-21 JR米沢へ、 米沢城、 上杉戸山
10-27 JR会津若松へ、 会津若松城,会津武家屋敷、 会津若松ホテル泊
10-28 JR会津若松―郡山―白河―郡山―いわき―亘理、 白河小峰城、 いわき城、
10-30 JR仙台へ、 仙台城、
11-3 JR本塩釜へ、 船底塗装作業マリ-ナ探し
11-4 荒浜発田代島へクル-ズ
11-5 田代島発荒浜フィシャリ-ナ着
11-7 JR仙台へ 先輩のSさんにごちそうになる
11-9 常磐線特急日立にて自宅へ帰る、 今秋巡航を終える
2025-11-12
猫の島・田代島クル-ズ
亘理から田代島へ
2025年の秋巡航は例年と違い極めて短いものになってしまう。 長年お世話になったS先輩とクル-ズを供にして、三陸のリアス式海岸を廻るつもりであった。
9月末の亘理大花火大会の開催日に合わせて荒浜フィシャリ-ナに到着。 3000円の入場料を払うことなく、もう目前の理想的な位置、すなわちマリ-ナのヨットコックピットから1時間の壮大なイベントを楽しむことができた。 人生で目にした最大の花火であった。 その写真を撮ること忘れたほどで、ここに揚げられないことは残念である。
まだ、9月下旬は台風が日本を襲う時期で、10月初旬に日本列島の東方海上沖を通り過ぎると、その年の台風時期が終焉となる。それと彼の体調が悪かったので出港が11月まで大幅に遅れた。
やっとポンツ-ンを離れてすぐに船尾からの白煙が気になる。 おまけにスピ-ドが3ノット前後だ。 船底の汚れ・特に海草や ノリが着いたのであろう。 エンジンの回転数も下げて様子を見た。最初の港の田代島より先へ行くのを断念した。 猫の顔を見ながらここ仁戸田に泊まって翌日には帰航することになった。 帰りは少し航走により汚れが落ちたせいか半ノットほど早くなった気がする。
田代食堂の人に餌をもらった猫たち。 島の人がエサをやり島外の人の餌やりには注意が必要
ニャーと鳴きながら近くに寄って来た人なつこいネコちゃん、なでなでしてあげた。
平塚八太夫
斜めに傾いだ案内板
平塚八太夫は仙台藩、水戸藩の御用商人であり、北はサハリンからフィリピンやベトナムまで交易による豪商であった。 「西に銭屋五平衛あり、東に平塚八太夫あり」と云われたほどである。 函館に居を構えて活躍したそうで、 婿養子の平塚時蔵(1836-1922)は函館に活躍してそこの四天王の一人と言われた。
せっかくの島の遺産であるのに石巻の行政は朽ちるにまかせたままにしている。
崩れかけ放置された屋敷跡、 明治に大火で消失
田代島・仁戸田 ヨット泊地
赤丸は階段のある停泊地、 青丸は候補地
防波堤に階段が造作されている乗降しやすいところに係留した。 他にももう1か所あった。 田代食堂前に着けていたモ-タ-ボ-トも見かけた。 比較的空きのある漁港のように見受けられる。
赤丸の係留地
2025-12-18
終活のクル-ズ 2026年春
2026年春 塩釜より倉敷まで
25歳の時にY15デインギーを購入して、26歳で22fクル-ザ-を手に入れ、30歳で退職し日本一周に挑戦する。 しかし、北海道を廻って石巻で中断した。 40歳でスペインのマジョルカで友人と52fのケッチを購入する。その彼と西地中海と大西洋横断をした。 69歳になり遅まきながら今回のヨットを購入する。 昨年に我がヨット巡航の中での東京-石巻の空白部分を埋めることが出来た。 今度のその帰りで、5月3日に無事、母港倉敷まで航海して戻ることが出来た。 79歳になり今回の航海で「終活のヨット」を終えた気がしています。
2026年
3月18日 友人佐野さんが米国コロラドより我が自宅に到着
3月20日 自宅より友人と共に宮城県亘理町・荒浜フィシャリ-ナ着
3月24日 荒浜より塩釜へ マリンシステムにて上架、 船底塗装開始
3月26日 瑞巌寺訪問
3月27日 船底・プロペラ塗装終了、 塩釜岸壁へシフト、
3月28日 友人が火傷でクリニックへ行く
3月29日 塩釜―荒花フィシャリ-ナ
3月30日 オ-トパイロット台座製作
3月31日 先輩の島田さんと3人で仙台にて昼食
4月2日 松川浦泊
4月3日 松川浦泊
4月4日 松川浦泊 相馬温泉天宝の湯
4月6日 松川浦—久之浜 久之浜泊
4月7日 久之浜泊
4月8日 久之浜―大津 大津泊
4月9日 大津泊
4月10日 大津伯
4月11日 大津ー久慈 久慈泊
4月12日 久慈泊、 日曜診療受診
4月13日 久慈―大洗マリーナ 大洗マリ-ナ泊
4月14日 大洗マリ-ナ泊
4月15日 大洗マリ-ナ―銚子マリーナ 銚子マリーナ泊
4月16日 銚子マリーナ泊
4月17日 銚子マリーナ泊、 外川漁港見学
4月18日 銚子マリ-ナ―大原 大原泊
4月19日 大原発 夜間航海
4月20日 下田着 下田泊
4月21日 下田泊 下田温泉銭湯
4月22日 下田発 夜間150マイル航海
4月23日 二木島着 二木島泊
4月24日 二木島泊
4月25日 二木島ー串本 串本泊
4月26日 串本泊 串本温泉
4月27日 串本向かい風引き返し 串本泊
4月28日 串本海草ペラ絡み引き返し 串本温泉 串本泊
4月29日 串本―周参見 周参見泊
4月30日 周参見―徳島 徳島 沖洲マリンタ-ミナル泊
5月2日 徳島泊 春の阿波踊り開始
5月3日 徳島ー鳴門海峡―母港倉敷着
5月4日 友人佐野下船
5月5日より5月9日 帰港整備
5月10日 自宅へ帰還
5月13日 友人佐野の帰国予定
今回の巡航は、我がヨット人生の初めにY15の購入・売却・泊地の世話と援助を受けた友人佐野を「冥途の土産」と誘い連れ出したものです。 彼とは共同でケッチを購入して、地中海巡航や大西洋横断と共にに歩み、僕のヨット人生の大事な部分を彼と過ごした。
彼は最近には山の人となりヨットとは無縁であった。 ここ10年の自分のヨットの楽しみ方・各地の興味ある所を訪ねる旅について、その一端を共に過ごすために彼に米国から来ていただいた。
4月の天候は想像以上に悪く1日走って数日避泊する羽目になって、スケジュ-ルが押してきた。 故に業者のする廻航のような航海になってしまった。最大では夜間航行で150マイルも走り急ぐことになる。後期高齢者の航海には厳しいものであった。 下痢やセキに悩まされてクリニック通うことが数回、おまけに彼はヤカンを倒して火傷を負う。 このヨットは難民船と呼ばれて長いけれども今回は病院船であった。
佐野は人柄が良いので友人らの共有財産である。 航海中にその一人の友人が亡くなられた。 危篤前に佐野に会いたがっていたけれどもその思いは遂げられなかった。 小生が独り占めしてしまい、申し訳ない自分がある。 いつ何があるか分からない切羽詰まった年になってしまった老生である。 独りよがりの終活のヨットを終えた次第である。
2026-5-11
イビザとマジョルカ
バレアレス諸島、 イビザ島とマジョルカ島
PING 906、 52fステイールケッチ
スペインにいた友人の佐野と共同でマジョルカ島のパルマのマリ-ナにあったオランダ人家族が乗っていた52fのステイ-ルケッチ「PING906」を購入した。
二人で1か月余り英国とスペインにある中古ヨットを探した。 今から振り返っても楽しく懐かしい旅でもあったと思える。 ロンドンではレコ-ドで聞いていた古楽の合奏団やヘンデルのメサイヤの演奏会をを聞くことが出来た。
2夫妻が乗るということで大き目のヨットを選んだが、スエ-デンヨット42やホルベルグラシ-42などを買うチャンスがあった。そちらの選択のほうが良かったかもしれない。
マジョルカ島のアレナルヨットハ-バ-に係留することになる。 船乗りをしていたので7-8か月の乗船で2か月余りの休暇のときにスペインへ行き、ヨットを楽しむことになった。 要するにこの時期は年中海の生活をしていた。
海賊の城のある島カブレラやマジョルカ島の南岸、イビザ島を楽しむ。 長いものはイタリアのサルデイニア北岸まで足を延ばした。
パルマからササ-リまで
今思えば40歳代のことになり、30年以上の前のことである。当時にはブログも無い時であり記帳して残してもいなかった。 老人の記憶によるものですので、多少のことは許されたい。
共同オ-ナ-の佐野が一部を残してくれています。 詳しくはこちらもご覧ください。
地中海クル-ズ 佐野による
2022-1-11
我がヨット巡航
http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank055.html
大西洋横断
大西洋横断
今となっては30年を過ぎた昔話である。佐野所有のニコルソン39ケッチにてペペと小生の3人で大西洋を横断した。
佐野との共有していた52fケッチを売り、小生は日本で家にそのお金を使う。 佐野は米国人より39fのヨットを購入した。 それをアメリカに持っていくのにスペイン・マジョルカ島のアレナルヨットハ-バ-より出発した。
マジョルカ島 アレナルとパルマ
スペインの南岸をジブラルタルへの航行中、当時はGPSという便利なものは無かった。チャ-トと灯台頼りの夜間航行中、灯台を目指して航行中であった、崖の上の道路上を車のライトが飛行機のように見え不思議な光景であった。 霧の視界が悪い中で、今思えば灯台よりの離間距離をとって航行しなければならなかった。 突然ドスンと止まってしまった。 のし上げたようだ。 灯台近くの位置であった。朝まで待ち、なんとか離礁して近くにあったフェンヒロ-ラのマリ-ナに行き、そこで修理作業を行った。 ロングキ-ルのハルであったので船艇に小さい穴があいたのみで浸水はなかった。 その修理はガラス繊維で覆うだけで良かった。
赤丸は座礁地点
赤丸はジブラルタルマリ-ナ
ジブラルタル海峡を抜け地中海とは別れて大西洋に突入。 ジブラルタル空港隣のマリ-ナへ停泊した。 ジブラルタる要塞や飛行場横にあるスペインとの入国検問所を通りアルジェシラスを訪ねた。
ラスパルマス
ジブラルタルよりアフリカモロッコ西岸沖を航行してカナリア諸島のラス・パルマスに停泊した。
30年もたつとすっかり港の様相が一変していて、停泊場所を探すことができない。 当時は公共岸壁にこれから大西洋に向けて旅立つヨットが縦付けに停泊していた。 地図の赤地点はカジノがある場所であるがその近くに停泊した。 おまけにそこで散財するために3日も出港を延期した。
ここと同じように地中海の諸港はマリ-ナが整備されていて、港内にアンカ-で停泊したり、公共岸壁に停泊する場所が少なくなっているように思える。
マルテイニーク島
ラス・パルマスよりしばらく南下してトレ―ドウインド(貿易風)をつかみ西航してウインドワ-ド諸島のひとつフランス海外県マルテイニ-ク島をめざす。
貿易風の風は予想外に強くビュ-フォ-ト階級の風力4-5であった。 追手ゆえにヨットはロ-リングをくりかえしながら左右に艇体をゆらしながら快調にすすむ。 正中時の天測で正午位置を求めてサテライトナビゲ-タ-で求める船位の確認をした。 ヨット天測はこちらのペ-ジをご覧ください。
ペペは日本の武道の名手でありすぐれたコッックであったので、動揺する船内でテンプラなども作ってくれて、25日の横断中は帰って太ってしまった。
マルテイニ-クに近ずいてからは夜が明けて午前中にそこへ到着するようにセ-ルを縮帆して時間調整を行う。 マルテイニ-クのランドフォ-ルは勘当である。 横断したものの特権でしょう。
マラン沖の赤丸にアンカ-停泊
マルテイニ-クの南端の岬を回った湾は貿易風を押さえた理想的な湾である。 そこは横断を終えたヨットが多く停泊していた。 その中に仏人と結婚した日本女性や家族で32fのヨットでやってきた人もいます。
小生のカミさんもNYから飛行機を乗り継いでここにやって来ました。 島内めぐりをして楽しんだ。 小生はここで下船してパリ経由で日本へ帰る。 パリではル-ブル美術館を3日間堪能した。
このあと佐野夫妻は数年に渡ってカリブ海を周航した。 ハリケ-ンに会ってこの艇が80mも飛ばされて陸揚げされ、それを佐野は再び航行できるように就航させた、後日談がある。
老年の乏しい記憶をたどりながらの昔の横断話でした。 今は変わってしまってお役に立つことは少なくなりましたけれど。
2022-1-16
佐賀関の火災 お見舞い申し上げます
ヨットで全国各地の漁港を訪ねお世話になっています。 漁村は海沿いの狭い土地ゆえに立て込んで建っている。 迷路のような道路に建物が隣接しているところから、強風にあおられた火災の危険は避けられない。 所によっては空き家が目立ち崩れかけた家屋も目にします。 個人的には漁村の風情は大好きで、絵描きさんたちには大事な画材となっています。
佐賀関はその位置から歴史的に重用された。 古い街並みも残り、海舟や龍馬が訪れた土地でもある。 ここを訪れた者として、ご被災された方にはお見舞い申し上げます。
佐賀関
昨日に鎮火の報道を聞いたばかりなのでまだ未定ですが、上図によると集落の少し東側が火災現場のようです。下記は現場を少しはずれた? 2022年に撮った写真です、由緒のある場所は立て札で案内されています。
屋号が立ち並ぶ街並み
土佐屋
高札場跡
今津屋跡
特応寺、 勝海舟、坂本龍馬が長崎への途上に投宿している
下記はここで小生が取り上げたものです。
佐賀関 ヨット泊地
https://hayame.net/custom41.html#spb-bookmark-1082
佐賀関
https://hayame.net/custom41.html#spb-bookmark-1081
追記 爺の提言
今日のニュ-スでは、未だ鎮火ではないようです。 全国の漁村の状況は家屋が狭い道路に立て込んでいるので、このような大火は数年おきに起きるのではないかと思われます。
高市さんに政権が代わって緊縮財政から積極財政に変わったといえども、限界集落といえるような老人ばかりの世代の消滅していく地域に区画整理や防火施設の投資をしていくのは無理だと思われる。
今回来年の4月までヨットを震災被害地に係留することになり、福島大震災の復興地を目にする機会を得たが、それほど今回の被災地に予算が付くわけでは無いと思われる。 空き家であったところには、もう家が再建されることはないであろうが、ポツポツと無計画に家が建つようでは、また火事が起こらないとは云えないでしょう。 ゆえに、復興住宅をまとめて広い敷地に高層の集合住宅を立てられてはいかがでしょうか。
全国にある漁村には、予算を着け、例えば道路の角ごとに40・50Mおきに消火栓とホ-スを多数整備する。 集落の家すべてにホ-スが届く距離に設置して、住民がすぐにも初期消火できるようにするしかないような気がしています。
2025-11-21、 11-23