ヨット履歴
Y15
三浦海岸に陸置

初代 速魚
ヴァイキング22
宮崎県日向市に係留
宮崎から関門海峡より日本海に出て、北海道を1周して石巻まで周航

PING906
52f ケッチ
スペインマジョルカ島に係留、西地中海を周航
イタリアのサルジニア島へ クルーズ。
39fケッチ 友人 佐野所有
マジョルカ島よりジブラルタル。カナリー諸島・
大西洋を横断してマルテイニーク島にクルーズ

速魚Ⅱ
31f スル-プ
ヤマハ31 フェスタ
終活・克のためのヨット
瀬戸内・九州クルーズ予定
マリンサーベイヤー
ヨットと狭水道 まとめ
貿易風の吹く島から 友人のカリブ海巡航
油津 宮崎 ヨット泊地
枕崎 ヨット泊地
白石島 ヨット泊地


六分儀
天測歴が廃止された。何を海上保安庁がや所管官庁が考えているのかと疑いたくなります。 いったん事あればGPSは停止したり大幅な狂いが生じるのは自明のことである。 ウクライナ戦争において盛んに電磁攻撃が双方によりされています。 中国の台湾進攻が近いと云われているのに。
書籍版の発行は売れないであろうことから、それは無理でしょう。 インターネットで天測歴を利用できるようにすることぐらいは大いに可能であり、しなければならない責務である。 再考を願うばかりである。
民間の有志がアマゾンで2023年版を発行しています。 継続していただけることを願うばかりである。
「ぬくもりがらす」による 歴計算研究会 2023年版 4400円 アマゾン

英国版の天測歴は販売されており、日本水路図誌販売の神戸で10,900円です。 078-331-4888 、関東には売っていないのに注意
Soft222さんによる天測暦・天測及び地文航法エクセルのページでは残念なことにダウンロードできないようです。
2023-9-12
太陽がいっぱい 1960
爺爺の青春映画 その1
中学生の時に兄のオートバイ・スーパーカブの後ろに乗って見に行った映画です。また小学生の時に見た商船学校の帆船実習のテレビを見て、船乗りになろうと思い、ただ漫然と船にあこがれていただけでしたが、このヨットを映画で見て、俺は将来ヨットを持つのだと決めました。(当時は単純であったなあと思いしらされます)

アランドロン
その後大きくなって船乗りになりましたし、幸いにもスペインの地中海マジョルカ島にケッチを置いて遊ぶこともできました。この映画は老生の人生に大きく影響しました。
映画自体はラストシーンが衝撃的ですが、その内容自体が影響を与えたわけではありません。まあそれの影響を受けて育ったのでは悪の道に走ることになったのでしょう。笑い。
船乗りは人生半ばで、外航船員絶滅の経済状況になってしまいました。岡に転身して、ヨット・ボートの輸入代行業をやることになりました。その経験から、現在に、映画のヨット・45-50fサイズを木造ヨットで作るには1-2億ぐらいかかるでしょう。あの映画のできた1960年より10年後には強化プラステイック・FRPでハルを作る時代に突入して現在に至りますので、今では木造のヨットを作る造船所は絶滅危惧種になってしまいました。
あの時代のヨットの形状はほれぼれするほどスタイルが美しいです。細見の横幅でデイープキールです。船は女性で表現されますが8頭身美人といったところでしょう。現在ではこのスタイルのプロダクションヨットは存在しません。クラシカルな美というものでしょう。欧米ではこのタイプのヨットが好みで、古くてもメンテにお金と労力をかけて維持しているマニアは存在します。中古艇のマーケットで売り出されているものがあります。でもそれを購入する人は多大の時間・費用・知識を要求されるので、間違うと外国からタキギを買った結果になってしまうでしょうね。(笑い)
老生の実力以上ですが隣に係留していて眺めるだけでしたら最高でしょう。

Plein Soleil 9分
https://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_
563051&feature=iv&src_vid=xxGdzSPPDKM&v=VwhAPyfxarY
セーリング 2分
https://www.youtube.com/watch?v=abNg6jfLa_U
フィナーレ 2分
https://www.youtube.com/watch?v=a6NFwpGr6y0
2015-3-30
ヴァイキング22
弓削にて停泊中に、懐かしのヴァイキング22・敷島号に出会いました。 そのヨットは50年程も前に小生が初めて購入したクル-ザ-です。 今は亡き明石ヨットがそれを15隻ほど製造したと聞いています。 そのオ-ナ-は関西の方で、元従業員の山崎さんからアドヴァイスを受けながら、彼がリフォ-ム復元されたヨットに出会ったのです。
製造されたそのひとつのヨットが岡山県玉野にあり、道路わきに展示されているように放置されていて、無残な状態を小生は見ています。 私が同僚に手放した艇は他の人に渡り、それを昔の仲間が見て、私に見ないほうがよいと言ってくれました。そのことは半世紀余りも経たことなので、しかたがないのかもしれません。
私が所有していた時でもそのヨットは木部が多く、3か月ごとにニスを塗っていないとメンテナンスが大変でした。 自分がヨットを置いているいる現在のハ-バ-には、オール木造ヨットが2隻あります。 それらは大変に良い状態でメンテされております。 いずれもフルカバ-をしています。 従いヴァイキング22もそれをしていれば、長く保たれるのではないかと今は思っています。
建造時の昔の話です。 当時はマーメイド号の堀江さんの太平洋横断の本に書いてあった影響でしょうか、ヨットを作るときは造船所に泊まり込んで作るのだという話がありました。 当時は長距離フェリ-の乗組員でしたが、会社に願い出て、2週間ほど臨時休暇にしてもらい、兵庫県高砂の船員保険施設に泊まって、造船所に毎日通って作った最初のヨットを手に入れました。

建造中、 速魚と小生(若くて別人かとおもわれるのか....)
その愛艇を4年間ほど九州の日向市に置いて楽しみ、最後は日本周航するために、会社を辞職して、周航を終えて会社の同僚に手放しました。
小生はデインギ-しか乗ったことが無く、ヴァイキング22。「初代速魚(はやめ)」は初めてのクル-ザ-ゆえに苦労もし、楽しみもしたヨットでした。 2隻目は友人と共同で52fのケッチ「PING906」を買いましたが、それよりも思い入れの深いヨットに「初代速魚」はなっています。 さらにヨットの信頼性という点では、今乗っているヤマハ31フェスタ・「速魚Ⅱ」よりも、小さいながらも頑丈で時化ても安心して乗れます。
欠点は腰が弱いことでブロ-が吹くと速やかに傾くこと、長さがないので波やウネリの中に入ってしまうこと位でした。 長所は、機走で現在のヨットとほぼ同じ5ノットで走ります。 また、停泊地の心配はありません、喫水が1.2m強なのでどんな小さな漁港でもスペ-スはあります。 クル-ジング中は、夕方まで走り、それから近くの停泊地を探せば良いことになります。 加えて、ハルの形状はロングキ-ルでしたので、今悩んでいるホンダワラがペラに絡まることは無かった。
当時は、オ-トもファ-リングもGPSも無い時代でしたが、チャ-トと簡易港湾案内とラジオを聞いて天気図を書くことでクル―ズできました。 そのような、古い時代ではありましたが。
予期もせずに敷島号に出会えたことは老生にとっては懐かしく嬉しいことでした。その夜は彼と話がはずみ、楽しいお酒が飲めました。

敷島号

初代 速魚
2022-9-10
マリンサーベイヤー
ボート・ヨット先進国欧米ににあって後進国の日本にないものはマリン・サーベイヤーです。中古艇の売買ではもちろんその使用は自由ですが、サーベイヤーにコンデイションサーベイをかけます。サーベイレポートにより、故障しているところの修理や値引き交渉などができます。バイヤーの負担で雇になりますが、中立的な立場でサーベイを行います。船のサイズにより料金が決まり10-30万円ほどです。その際の上架料金は別になります。シートライアルもやってもらうことができます。
あくまでサーベイはその時点での状況判断で、中古に起こりがちな、そのあとすぐに故障したときの保障をサーベイヤーがしてくれるわけではありません。
日本では買主の見た判断で購入が決まります。ボート・ヨットの場合は現状渡しがほとんどでその後の保障や修理はありません。日本のサーベイヤーに、造艇知識や機器の知識それにボート・ヨットの実務体験などを備えている人がいないのも事実です。
それでサーベイのシステムが普及しないのでしょう。アメリカでは学校もあります。
日本にしかない独自の船検の制度がありますが、これも合格したすぐあとの故障も責任を持ってくれるわけではありません。法令に合わせた事項に合致しているかを確認するのが検査員の仕事です。従いかなりの教育と経験をしなければ船検検査員がサーベイヤーになれるわけではありません。
中古の判断は難しくリスクもあると承知で買うのが日本の現状です。サーベイヤの普及がすすむといいのですが。
弊社のHP http://gentlebreeze.sakura.ne.jp/
輸入代行・ヨット・ボ-トのブログを開設しました。
http://gbdaikou.sblo.jp/
2014年 8/27
下津井瀬戸と水島航路の横断
瀬戸内海をヨットにて通航をする場合は、東航・西航するには備讃瀬戸や下津井瀬戸のいずれかを航海することになる。 バブル華やかしころに本船乗りをしていて、夜の宇高連絡船との行き会いは今思えば、美しくもあり緊張を伴う悩ましいものでありました。 宇高連絡フェリ-は昨年廃止されたので宇高東・西航路を航行する船は今では少ないでしょう。 当時はひっきりなしに連絡船が行き来していて、おまけに備讃瀬戸航路上にも同行・反航の内航船がゴマンとジュジュつなぎに航行しており大型船にとっては大いに注意を要した。

備讃瀬戸東 宇高東・西航路
ヨットマンの聖地と呼ばれる弓削海の駅に立ち寄るヨットは多いでしょう。そこへ瀬戸内を西航する場合には、下津井瀬戸を利用できます。備讃瀬戸航路航路経由で行くときには大型外航船が多いので、それを避けたいと思うときに小型内航船の多い下津井を利用する。 下津井瀬戸は潮流が最大10ノットにのぼる時があるので流速には留意する。そのことよりも大きな問題は水島航路を横断通航することになるので、大きな注意が必要です。ここさえ抜ければあとは比較的容易に弓削に行けるでしょう。

下津井瀬戸と下津井瀬戸大橋
航行・横断注意点
1. 水島航路には巨大船が航行する。進路警戒船が先導している。
2. 水島航路を横断した後でも六口島北東方向から倉敷港を出港して水島航路を通航しない本船がある。
3. 荷役待ちの錨泊船が多い。
4. 土地柄か引き船やプッシャ-が多い
5. 水島航路上船舶は優先される。こちらは航路横断船になる。行き会う船をすべてを避けるつもりで航行し、速度を調整するなどして特に航路中央での行き会い状態を避ける。
6. 70m以上の本船は行き先信号をマストに掲げている。信号所で出港・入港信号が点滅表示される。VHFでこちらに管制センタ-より指示があるときもある。VHFを備えている場合には聴取のこと。
7. 追い越される船になることが多いので追い越し船の追い越し信号に注意。後方は要注意。
8.衝突を回避するために相手船と左舷対左舷、右舷対右舷で航行する意思を早めにこちらが変針して伝えることが重要である。
一時的にここを通航するヨットにとっては、この海域の海上交通法による法規を習熟するのは難しいでしょう。 ヨットにとって通航する際には空いたタイミングを計り通航する。また、多数の船が見えている場合でも衝突の恐れがある船は1隻であることから、それを避けていくことにより危険度の大きい船より順次対処することになる。
ヨットが優先権を主張してもしょうがない。何かあれば、小さいこちらに被害が及ぶだけです。

赤線は下津井瀬戸より水島航路横断

行き先信号旗 汽笛を鳴らす地点 詳細は海上交通法による
弓削から東航する場合には与島・500円と本島・笠島地区・1000円がおもしろい停泊地になる。
全国ヨット泊地 https://hayame.coolblog.jp/custom4.html
2020-1-19
航海計画
台風14号が日本列島を縦断した。 935mbの非常に大きい台風であったが、予想されたほどの大きな被害を受けなくて済んだようだ。
今年の巡航は、2019年に九州一周を半ばで中断したのを再挑戦するプランを立てた。時間的な余裕を持つために、その航程を2つに分け、天草付近のマリ-ナて秋まで短期係留をして、春と秋に実行しようと計画をした。
しかし、岡山の母港に向かう行きの新幹線の中で、台風時期の保管に不安を覚えて急に考えを変え、隠岐クル-ズを行うことにした。 無事にそれを終えて現在は自宅にいる。 今回の台風は予定していたマリ-ナのすぐ近くを通過したようだ。 このことを恐れてプランを変えたのであるので、結果的には大いなる心配から避けることができた。
それでも、この決断が遅くなったことによる大変さを、小生は今回のクル-ジング中に味わされることになる。 事前の航海計画が十分に練られていないので、その日その日の行動は、行きあたりばったりのものになった。 その反省のひとつとして「山陰の主要港と補助港」をまとめた。 突発的な出来事による入港予定地の変更には今後に山陰に行かれるヨットマンがこの港リストが参考になれば幸いです。

山陰地方の主要港
山陰地方の人にとっては、冬の強い北西季節風に悩まされていこると思われますが。 ヨットマンにとっては、その寒い時期にそこを航海する人は、まず、いないと思われる。
山陰地方の春と秋には、北東と南西方向の風が、連続的一方的に山陰の地形に沿うように収れんして吹くようである。 従い、その風向の交替が起きる時期を知ることは、向かい風を避ける航路を選びたいヨットにとって重要なものとなる。九州の北岸・玄界灘もその影響下にあるので平戸方面に向かう時も同様である。間違うと新門司マリ-ナでの長期の滞在の結果が起きる。
Windyは先の4-5日の天気を知るには必須のものである。それでも航海計画に使用する機能はそれには無いようである。
昔の古い古い時代であるが、チャ-トのみでクル-ズしていた時には、本船用の水路誌を購入して読んでいた時があった。それには気象傾向が述べられている記事があり、おそろ恐ろしい内容でそれを読めば行く気が失せるような時代があったのである。 今は気象に関してはWindyが十分に役に立つ。
海外のロングクル-ズではパイロットチャ-トを参考にして大洋横断の時期など検討したことがある。 日本付近のものがあれば役に立つのではないかと思わます。
過去の気象を長期に渡って見られるものがありそうであるが、私の努力が足りないのであろう、見つかっていない。 また、最近の気候変動で今までの例年パタ-ンが役に立つ時と立たないときがあり、そのことの考慮も必要とされる。 役立つ資料が見つかったとしても、難しいことに、それゆえに個々の艇長判断が重要なものとなる。
2022-9-22
油津 宮崎
内之浦にてエンジンの回転計の故障に気が付き、油津ヤンマーの代理店に電話して修理を依頼した。 ヤンマーの事務所の前の岸壁に着け、すぐに修理をしてもらい無事回復した。
夜中より胸に違和感を感じ、すぐに入院して5/10より6/8まで滞在することになった。漁協、ヤンマーエンジニアリング、末永電機マリンの方々に長い間お世話になりありがとうございました。

赤丸は停泊地、 青丸AとBは候補地

赤丸 停泊地

青丸A 候補地
赤丸の岸壁は20トンくらいのまぐろ・かつお漁をする漁船が休養に使用しているようだ、入院ゆえに長い停泊をしてしまったが、ここには岸壁に梯子が設置されていないので2m以上の潮汐があるのでヨットへの乗り降りは時間制限がかかる。 青丸岸壁にはハシゴが2か所あるので、そこへ付けるのが正解であると思える。 他に内港の白いタンクの後ろ側(青丸)に外来船ようの岸壁がある。ス-パ-、コインランドリー、ガソリンスタンドあり。

油津は宮崎県の歴史ある天然の良港です。 飫肥藩の飫肥杉の積み出しのため堀川運河、江戸時代初期に開削された。

大正10年建築の赤レンガ館、 競売にかけられていたのを街の有志30人で買取り保護したという
2023-7-31
枕崎 ヨット泊地
最初は奥にある大きなポンツ-ンに着けた。 しばらくして市役所の人が来て、ここは不適であるという。 確かに明け方に大型トラックが来て漁船からの積み込み作業をしていた。 それで下図にあるすぐ横の階段のある赤丸位置に接岸係留した。

赤丸は停泊地、 青丸は候補地

係留不適ポンツーンと赤いヨットは青丸候補地

赤丸に横抱きして係留
お風呂はJR枕崎駅近くに銭湯がある。 ス--パ-とコインランドリーあり。 関東出身のヨットマンNさんには大変お世話になった。お土産まで頂いたありがとうございます。 ドイツから来ていたイコールマストの自作風ケッチは対岸の上図青丸位置に着けていた。この位置も広く外来用のスペ-スがあるようだ。 市役所の人が地元漁船に随分と気をつかっているようです。
JR枕崎線hは指宿以降は日に5-6本の少数の運行なので注意が必要です。
2023-8-10
心筋梗塞で入院 クルーズ中

宮崎県立日南病院
2023年 5月10日に内之浦から油津へ入港、昼前に着き、1300頃よりヤンマーの代理店の人が来て、回転計の修理作業をした。 アースの線が切断していただけであったので、1時間ほどで終了。 油津の町で買い物をして夕食を済ます。 明日は飫肥城でも行くつもりで就寝。
胸が息苦しい感じで目が覚める。 深呼吸をすると気持ちが良い。 胸に違和感を感じるので、朝になったら外来診療を受けようと思う。 入港までは追手の風で帆走していたので、排気ガスを吸いながらの航行であった。 そのせいで呼吸器系統の病気でないかと思っていた。
どこのクリニックがいいか分からないので早朝にもかかわらずに緊急相談センターに電話してアドヴァイスを求めた。 6年ほど前に脳梗塞をやっているので、3時間以内のMRIのある病院での診断・治療が重要であるということが頭の片隅にはあった。 症状を話すと県立日南病院を紹介される。 さっそく電話して話すと、すぐ病院に来た方が良いとのことであった。
朝4時頃であったのでタクシー会社ヘ3件ほど電話したが、どこも来てくれるところが無い。 ひょっとして入院になるかもしれない気がして、バックに入院準備品をつめこみJR油津駅まで歩き始めた。途中で看護婦さんから連絡があり救急車の利用をすすめられた。119番に電話して救急車にのり病院に着いた。
さっそく検査して、脳梗塞になりかかっているということで即手術である。 手術自体は手の部分のみの麻酔で、先生の手術中の会話を聞きながらのもので、痛くもかゆくもなかった。 いわゆるカテーテル手術で狭くなっている血管をけずりステントで補強する手術であった。 術後の安静が必要で、2日は集中看護室それに1日の準集中看護室に入り一般病棟に移った。
退院までは3週間と告げられた。血管の詰まった先が壊死しているかもしれないので、経過観察が必要なのでその日数を要するという。 退院まで携帯心電図を着けたままであった。 リハビリは徐々に段階を踏んで歩く距離を増やしていった。 ランニングマシンや自転車こぎの装置で負荷実験をした。 退院間際にもう1か所の狭くなっている血管を同様の手術を受けた。 これは詰まっているわけではないので、3日でOKであった。 早く分かれば簡単に終わるということでしょう。70近くになれば一度は心筋梗塞の検査をおすすめいたします。
心筋梗塞は致死率20%ということだ、痛いわけではなかったし、悪化することも無く、今回も最悪のケースは免れた。それでも、いつまでも幸運が続かないということは覚悟しておくことであろう。 ヨットのトラブルも含めてそう思います。 何がおきても不思議でないという年齢に達したということでしょう。 航海中にこれが起無くて良かった。 感謝。
日南病院の皆さま、3週間余りの油津係留でお世話になった皆さまありがとうございました。

油津で入院中係留させていただきました
2023-8-18
2023年 春巡航 九州一周 その2
http://hayame.net/custom41.html#spb-bookmark-1047
濃霧

上関からクダコ水道までの予定航路、 白線に囲まれる範囲に濃霧発生
2022年7月17日に隠岐巡航の帰りに濃霧に会った。 いつものように朝5時に上関を出港してクダコ水道を経由して下蒲刈を目指した。6時頃になって、平郡島に差しかかる付近より濃霧になり先が見えない。 レ-ダ-は無い。 古い話になるが、北海道を周航した時、さんざん濃霧に悩まされて「レ-ダ-の無いヨットでは北海道には行きたくない」と肝に命じていたのであるが、この時期は瀬戸内でも霧が発生することがある。巻き込まれてしまった。
たしかWindyにはそのような霧の予報は無かったと思う。 知っていれば出港は取りやめにしたと思う。 また、平郡島の前方で霧の気配がしていたように見えたので、それを感知して、引き返す決断をすべきであった。 そのことは後になって振り返っての話になるので。事故が無くて良かったが、そのような決断はなかなか出来ないのが実状であろう。
ここまで書いて気が付いたのである、霧情報としてはWindyは役立たない予感。他に何かあるかと言えばラジオ・テレビの天気予報である。これは欧米のものと違って、海のことが意識されていない「洗濯干し情報」のようであるのでこれも役立たない。 そうそう、あったではないのか、それはVHF16チャンネルの海上保安庁の航行警報である。 残念ながら怠慢な小生はVHFの電池切れを放置していて聞くことができない状態であった。 クル-ズに出る時にはこれをメンテしておくべきと知らされた。
平郡島の北側は小型船、南側は大型船の本船航路である。 従い今回の濃霧中では小型本船との行き会いになった。 レ-ダ-は装備いていないけれどNewPeckスマ-トを持っている。それにはAIS機能があり他船の位置と進航(船首)方向が表示される。霧のなかでも他船を避けるのに、それは役に立った。
元本船乗りであったので、昔にレ-ダ-を霧中に使っていたのを思い出した。 それは、ダ-マ-トグラフの鉛筆でレ-ダ-画面に他船の位置をプロットして描き、その位置の変化で他船の動向を把握して避航動作をしていたことである。(今の商船はもっと近代化したレ-ダ-を備えていると思われる) ニュ-ペックでも船首方向は矢印で表示されるので、ヨットの場合は、他船と衝突の恐れがあるとの判断を待たないで、早めの大きな避航動作で他船にこちらの意図を知らせる必要がある。他船は霧中ではそのまま進路と速力を維持したまま航行してもらうのである。 ブイ近くでは他船は次の針路に転舵する予想が重要でその方向を考慮して、こちらも対処しなければならない。
幸い10時頃には霧が晴れた。 しかし、行き会い状態のガット船が反航してきた。 それはニュ-ペックでは確認されていない、ということはAIS装備していない本船であった。 霧中でなくて幸いであった。 本船はすべて装備していると今まで思われてきたが、法令で任意になっている船舶もあるのかと知った次第である。 調べてみると。

AIS 設置義務船
1. 国際航海に従事する300トン以上の船舶
2. 国際航海に従事する旅客船
3. 国内航海の500トン以上の貨物船
航行中にニュ-ペックを見ていると上の義務よりもっと多くが設置しているようには感じていますが、ヨットにとっては内航船・漁船にもっと多く設置してくれればなあと霧を体験すると願望するものです。
AIS位置情報 下記のオケラネットによる
http://www.okeranet.com/AIS/ais.html
https://www.bouken-asobi.com/map_ais.html AISライブ船舶マップ
2022-9-8
白石島 ヨット泊地

白石島と北木島 地図
北木島には「ゆうこうまりん」のセ-ルロフトがあり、昨年に楠港に着けてメインを担ぎ持ち込み修理してもらいました。 その北に白石島があります。 白石島の新港が東岸にあり係留した。 そこはフェリ-・連絡船乗り場のある旧港に比べれば広さもあります。 しかし、意外とヨットを着ける場所が見当たりません。 港内でぐるぐる航走しながら探していました。 たまた同時期に入港した漁船が見かねてポンツ-ンに駆け寄って来て、“ここへ着けよ”とモヤイを取ってくれました。 親切な地元の人に感謝です。 ここに3日間ご厄介になりました。
到着後にエンジンの点検をしたところ、出港前に業者を使って修理してきているのに、燃料漏れが見つかる。 ビルジたまりに1cm位の軽油が溜まっていた。 従い、これからのクル-ズは断念する。 プランを変更し、気も取り直して、鞆の浦、真鍋島に行くことにした。フェリ-と高速連絡船を利用してそれらを訪ねました。

連絡船乗場 付近
係留期間中の漁船の動きはほとんど見かけずに、現役の漁船が置いてあるようには見えなかった。 微妙な間隔で係留していて、槍付けするのならスペ-スがありそうです。このポンツ-ンの横に漁船を上げるスロ-プまでの間には横付けできるスペ-スがある。 まあこのポンツ-ンが使用可能ならベストです。

新港 ポンツ-ン 左の大型漁船に伴抱きも可能とのこと、 左にあるスロ-プとの間にも横付けできそうです。
この赤いポンツンに係留

ヨットも3隻ほど係留している。
ここより「連絡船のりば」へは徒歩10分くらいで行ける。 お風呂は無し、買い物は地元の小さいお店がある。 ガソリンスタンドは見かけなかった。
2020-7-29
内之浦 風速30mでの錨泊

港内から南東方向を見てみるとちょうど山間で風が抜ける地形のようだ
指宿より内之浦に向かった。 このことは今回のクル-ジングで難関と予想してきたが、実際にそのようになった。 台風の時にはヨットを出すことはないけれど、台風並みの烈風・風速30mで内之浦港に入港する事態となる。
前日のウインデイの予報ではこの日の夕方近くになると赤表示の風速予報で、そのような時には出港を中止するのが常である。 事前の航海計画では指宿―内之浦50マイルとして平均5ノット弱で10時間の航海を期待していた。南西の風の予報ゆえに大泊泊はウネリが入りそうなので避けたい。本当はそこを中継地にして一泊して距離を縮めたいのではある。
朝五時に指宿を出港。 佐多岬を大きく沖出しして、後方からの大きなウネリを受けながら航行する。 出港の時に迷いがあった気持ちも、途中では、やっぱり今日出て良かったという気分であった。 ロケット打ち上げ場近くに来るとだんだん風が強まり、火埼を回り込んで内之浦湾に入るころには真っ白な白波である。 追手の強風でも岬をかわすと風が弱くなりセ-ルを畳んだり入港準備ができることが多い今までの経験だが、今日はそれを許さない。
後からニュ-ペックスマ-トをチェックすると入港までに2回転している。 港口では船速がゼロの時があった。 港内に入っても白波で真っ白である。とても接岸できるとは思えない。 漁港の真ん中付近でアンカーを打った。 コックピットから打ったのでアンカーロープを船尾から船首にもやって風に立てた。おもてから風を受け機関を廻したまま、雨の中をアンカーワッチする。 夜10時過ぎに風が少し凪だのでカッパを脱ぎバースにころがりこんだ。 朝起きたらウソのように凪いでいたのでアンカーを巻き上げてヨットを着岸することができた。
岸壁に前日から繋いでいたヨットマンに伺うと、昨日はとても助けようにもヨットから岸壁に登れるような状況ではなく、ヨットの計器で風速30mを示していたと聞いた。こんな日に出てはいけないとも忠告される。
シングルハンドではアンカーロップを整理しておき、いつでも使用できるようしておくのが、命を守るということでしょう。 といっても老生のヨットは難民船と呼ばれるくらいに物が多く片ずいていないヨットではある。

夏の時期の南西の強風時には内之浦港は吹き抜けの風があるので、十分に注意する必要がある。
2023-7-18
大入島海の駅・大分佐伯
別府北浜ヨットハーバーから佐伯の大入島にある海の駅に行く。
濃い海霧になるとは予想していませんでした。上関からマリンピア武蔵に向かう時も、0600に出港してすぐにガスになり、一旦引換して、0900頃視界が開けて再出港したことがありました。 同様に別府を0600に出ましたが、最初は視界が良かった。佐賀関近くに行くと急に四国側からの風に乗って霧が到来、みるみる視界不良になりました。霧笛が近くで聞こえます。佐賀関へ行くフェリ-のようです。 友人佐野のヨットに乗ってる時に、霧中で地中海のスペイン沖に座礁したこともあり、前の艇でも北海道でさんざん苦しめられました。その時に今度のヨットはレ-ダ-が欲しいと思いつつも設置できていません。一時は佐賀関に向おうとも考えましたが、何とか速吸の瀬戸を通ることができました。 今度からニュ-ペックを使い始めて、ノ-トパソコンで常時位置が分かるところが昔と違うところです。他船との衝突だけを気にするだけと言っても怖いことです。半分は楽になったとはいえ、レ-ダ-ほしいですね。

地元のヨットマンによれば、台風避難には最適だそうです。大分や別府に逃げる位ならここだそうです。台風がどのコ-スを通っても安心と太鼓判です。
しかし、この海の駅のバ-スはマリンバスが使用している空きへ着けている関係でそれの影響での引き波で大きく動揺します。多めのフェンダ-は必要です。それが沖を通るときでも驚くほどの引き波です。

バ-スの先端はマリンバス専用になる。

食彩館 ここで入港手続き 無料です。
2017-8-15
関門海峡と進路警戒船

初代「速魚」による通峡 、 45年前
40年前に初めて関門海峡を通ってから4回目になります。しっかりと潮汐表を準備しての通峡でしたが、サイトで調べられる時代になったので、表なしで今回は通航しました。
新門司マリ-ナを出て2時間余りで門司埼・関門大橋の近くに着きます。 そこでエンジンの音が変わったので潮に当たったのだと思いました。速度も1ノット落ちて4ノットになる。その後に池島で潜ってその原因がロ-プのスクリュ-への巻き込みだと、2週間も過ぎて判明します。余りスキルのあるヨットマンではないとバレてしまいました。

その時に門司埼の方向から真向かいの行き会い状況に作業艇らしきものと衝突の恐れが生じました。法令に従い舵を右に切り避航動作をとる。 相手船はそのまま接近してきて、左に寄るようスピカ-で怒鳴るように
指示される。その船は巨大船の関門海峡通航にまつわる進路警戒船であった。 彼の意図は、海峡の最も狭くて潮流の速い門司埼でのこちらのヨットと巨大船の接近を避けようとするものであったのでしょう。 指示どうり左に針路を向けて、こちらの意図しない門司埼にごく近くを通航するハメになりました。こんなに近くても門司埼を航行できるものだと思いましたが。
警戒船が自分の意図どうりにしようと思うなら、真向かいの航法が適用されるこちらへの接近は避けるべきでしょう。ヨットに左へ舵をきらせて、右舷対右舷での通航をさせたいのでしたら、ヨットへは警戒船の右舷を見せてヨットに接近すべきである。なぜなら真向かいの航法では互いに右に舵をきるからです。

この警戒船ではないが、進路警戒船には赤の吹き流しを揚げているようである。

関門海峡 通常は右側航行であるが、100トン未満の船は門司埼に近寄って航行できる特例

真向かいの航法
元船乗りで巨大船に乗ったこともあるので、舵効きが遅くサイズの大きい本船では瀬戸内海などでは、本当に進路警戒船はありがたいと実感したことがある身の上ですが、今度は指示をうける小型船に乗ってみると、適切な行動をとってもらいたいと思うものです。
帰りにも再度逆から通峡しましたが、ブイ近くを航行していました、後ろから追い越される船にブイの岸よりの浅いところへ追い込まれそうになりヒヤ汗を掻くことになる。 峡水路の通航の際には潮止まりの時刻を狙うことが多いのですが、関門では連れの追い潮4ノットでも行けるようです。

下関からみた関門大橋
2018-11-1
座礁 野間池

野間池 赤丸は笠沙えびすポンツ-ン

ニュ-ペックスマ-トによる座礁地点 外堤防横の赤斜線は定置網の位置表示、
ヨットの座礁については、それが避けられないものであるかのように知たり顔にブログで書いてきました。 今回は起してはいけない恥ずかしいものでした。 3隻目のヨットになるのですが、前の2隻のヨットでも砂地への座礁を経験しています。 しかし、今度の事故は初めての岩への座礁であり、自分の責任が大きいというものでした。 外航の航海士の経験のある老生にとって、この座礁が当時の勤務中に起こした本船の座礁事故ならクビになっていただろうと思えるものです。
その事故とは、2023年4月12日、下甑島長浜から野間池に向かっていた時です。南西の風のアビ-ム帆走で快調に港入り口まで来ました。外防波堤の突端に着きましたが、内港の入り口は見えずらかったので陸地へ接近した。 防波堤横にはイケスのような網が見えた。 ニュ-ペックスマ-トには5m水深の線が描れている。 上図の色の濃い水色区域。 2m水深ラインの表示は無い。 杭が4本設置されていたがその意味はこれより陸側は浅いということであった。 灯標によくある青赤ブイのようだと誤認してその間を通航すべき意図で杭の内側陸地側に寄ってしまった。 座礁である。 機関を後進いっぱいにしても抜けだせなかった。 その作業中に港から船外機付きの和船が出てきて、こちらに気が付き離礁作業に協力してくれる。30分ほど行ったが10馬力に満たない船外機でではロ-プで引き出せなかった。 その後養殖に使われる船首にクレ-ンの着いた20トン程度の作業船が出てきて、20mmのえい航ロ-プが切断したけれど、無事に深いところへ引っ張りだし救助してくれた。 岩の海底であったのでゴトンゴトンとぶつかりながらの作業であり心配があった。
そこから笠さ恵比寿海の駅(廃止された)のポンツ-ンにヨットを係留した。 ビルジに水が貯まることは無かった。そこで潜って船底を確認したが、バラストがこすれて塗料がはがれ白くなっている。小生の潜水能力の不足ゆえに詳細な点検はできなかった。 その後に、救助のお礼に伺い、マルハニチロ会社のクロマグロ養殖に携わっている人々が助けてくれたのを知る。 最初の船はえさやりの船、引出してくれた船はイケスからの水揚げをする船であった。 ヨット積んであった焼酎を持参したのであるが、受け取ってもらえずに、お礼だけ終わってしまう。 その帰路に軽自動車にヨット関係のブランドが車体に描かれているのを見かけた。 ひょっとして業者の方かなと思い声をかけた。 なんと串木野で大変お世話にまったNさんのお兄さんであった。 夜はお風呂に入れてもらい潜った塩のついた体を洗い、お酒と夕食のごちそういただいた。 不安な気持ちもこれで和らいぐ。串木野に戻りそこで上架して船底の点検をすることにした。
翌日に串木野に着き、クレ-ンの手配を地元のヨットマンに依頼してもらった。 あいにく1週間ほども待機となった。4月20日にクレーンが来て岸壁の横で吊上げてもらい、船底を点検した。 ガラス繊維の作業の職人さんにも見てもらった。 船底の亀裂やふくらみは無かった。ビルジも貯まらないようなので航行に支障はないようだ。 引き揚げ降ろし作業に串木野のヨットマンが総出で手助けしてくれた。 クル-ジング中の小生には本当に心強いものであった。 皆様ありがとうございました。 おまけにクレ-ン代も25000円で40トンクレ-ンとしては格安でした。口をきいてくれたおかげである。
ニュ-ペックを船内のPCに作動させてヨットを出すのだが、シングルハンドではわざわざキャビンに降りてそれを見に行くことが少ない。ニュ-ペックスマ-トを手にして以来コックピットでスマホを握って航海をしている。 サブには古いスマホにナビオニクスを立ち上げて使う、これには通信環境を必要としないでGPSが使えるスマホなら使用できるもの。 速度表示はナビオの方が大きく表示されわかりやすい。 港内表示はさすがにニュ-ペックの方が詳しい。 今回の野間池の水深表示が5mまでであるので、そのラインを警戒線としなければならなかった。 定置網表示の赤の斜線は、 上図のように少し大きめに表示されることが多いようで少し中に入っても経験上良いように思われる。 今回は網に寄って入港すべきであった。 また、グ-グルマップの航空写真を拡大すると野間池内港入り口陸側に昔の防波堤を壊した跡が判明している。ここにその時の破片・岩があるので避けるべきであろう。
ロングクルージングと座礁
2022-7-8
魚島

備讃瀬戸を東西に航行していた時に、島にビルが建っているのを見かけたので、気になっていた。 今回新居浜より弓削に行く機会があったので、立ち寄りしてみる。
魚島は愛媛県上島町に属し瀬戸内の真ん中にある島であるが、交通は本土方面の因島と弓削島より町立の連絡船があり、 愛媛県・弓削島には上島町の役場がある。

魚島 南方より眺める

魚島港入り口風景 離島にしてはビルが目立つ
港内に入って少しウネリがあるようなので、予定していたところより奥へ行った。 漁具の手入れをしていた老人に尋ねて、その人の勧めでポンツ-ンに係留しようと1本のもやいを取った後でスグに、これの持ち主と思われる漁師さんから怒られてしまう。 しかし、好意により明日までの係留は認めてくれた。 無断で自身の所有のポンツ-ンにヨットを係留されれば怒るのはもっともである。 一応、地元の漁師さんに聞いたつもりであったのだが。
シングルハンドであるとヨットの着岸は一発できめたいものである。 いつまでたっても着岸に習塾しない小生にも問題ではあるが、ロープを舵にからめてしまった。 11月の海中に潜ってはずす羽目になった、思ったより水温は温かかったけれど。

青丸 予定係留地 赤丸 実際の係留地

港内
洋上から目にしたとビル群は離島振興法で出来た建物であった。観光センタ-や住宅に使われていた。

赤丸 係留場所 養殖業者のポンツ-ンに係留させてもらいました

青丸 予定していたの係留場所 小さいウネリが入っていた
最初にイヤな思いをすると後にひきずるもので、この島の印象は個人的に良いものではなくなった。 あとの時間も有効に活用することもなく終わってしまう。残念である。機会があれば気を取り直して訪ねてみたいものだ。
2021-1-24
錨泊・アンカリング
錨は大事さあ

ヨットにアンカー・錨を積んでいないヨットマンがいる。 レースを中心に楽しむヨットマンでウイークデーにしか乗ることのない人には必要ないのかもしれません。
土曜日に静かな人気のない入り江にアンカーして泊まり、満天のきれいな星を眺めていっぱいやるようなロケーションにも恵まれていない都会派ヨットマンなんでしょうね。
クルージングをしている方なら錨泊がいかに大切なものかを身をもって教えられるはずです。 錨は消耗品だと知ります。欧米の文明国なら日本の漁港なみにマリーナがあります。従いその位置の情報が大事になりますが、いったんそこを離れるとほとんど錨泊になります。経費節約のために錨泊することもあるかもしれません。
自艇にふさわしいアンカーの重さを知ること、アンカーの種類を知ることは大事です。錨泊法の練習もかかせません。アンカーを打ったらデインギーで水底を見ての錨の状態を確認にいったり、シュノーケリングで見たりすることも必要になります。双錨泊するケースも多くなります。その練習も大事です。日頃から慣れておきましょう。

アルミアンカー
おすすめはフォートレスのアルミアンカーです。 このアンカーで、昨年は30mの風速に中で31Fサイズのヨットで港内に逃げて錨泊して耐えました。 サイズは少し大きめですがその割には軽く取り扱いが楽です。 アンカーの効きには定評があります。
2014-9-25 、 2024-3-25
錨泊・アンカリング その2
http://gby.sblo.jp/article/104278535.html?1711323973
中島・忽那島 バス一周

中島・忽那島に停泊中に、北東風の強風に見舞われた。台風以外にフェリーが欠航することが少ないと云う日になった。 レンタサイクルで出かける日でもない。 そこで、島を一周している路線バスにて見て回ることにした。
大浦港と西中港は島を横断することになるトンネルで結ばれている。 前回訪問した時にはそこを抜け、自転車を借りてトンネル以南を走破した。今回は、トンネル以北の北半分を廻るバス路線があるので乗車した。 その後神浦(かんのうら)にある忽那公碑を見に南回りの路線に乗った。
中島には大浦港、神浦港、西中港へ連絡船が入出港する時刻ごとに合わせて連絡バスが運行している。東西航路のどちらかが天気の関係で運休しても、バス利用して中島の島民は松山へは行けるようだ。今日は東航路は運休で、西航路は走っていた。

忽那諸島 中島汽船航路図、 赤線は東航路、青線は西航路、 フェリーと高速船が就航
北回りコ-スでは途中でバスが停止して運転手さんが降りて倒木を取り除く珍しい場面に出くわした。 周辺の民家も少なく住民重視の福祉路線のようだ。 私一人が乗客である。

運転手が降りたシ-ン、 乗客は小生ひとり
南回りコースは神浦(かんのうら)で下車して忽那公碑を見る。 南北朝時代に活躍し忽那水軍の黄金期を支えた忽那義範が、南朝方の懐良(かねなが)親王を北朝の足利方からお守りしたことを称えている。忽那諸島を今回に巡ったけれど忽那水軍・海賊を記念したものはこれひとつだったような気がする。懐良親王がどこに住んだのかも分からなかった。
忽那義範は鎌倉時代後期から南北朝の時代の忽那諸島を本拠とした水軍の武将。南北期は宮方に属した。南朝の懐良親王をこの島に1339年から3年間保護した。軍功により柱島や備後の灰田郷の地頭職、周防国長野郷地頭職を安堵される。晩年は、足利尊氏との対立により宮方に転じた足利直冬と連携し活躍した

忽那義範公表忠碑、 瀧神社内
2024-11-22
呉湾内クル-ズ 、 呉 ヨット泊地
倉橋島海の駅に滞在中にバスにて音戸の瀬戸を経由して呉まで足を延ばした。

呉周辺図、 赤線は湾内巡航路、 青線はヨット航路
バスを降りてJR呉駅の観光案内所を訪ねた。そこでオススメの湾内観光クルーズ500円に参加した。 駅からフェリー乗り合い場所までは陸橋で続がっていて徒歩5分ほどである。
今回の格安ツアーは小用までのフェリーを利用してのツアーであった。 以前に江田島海軍兵学校跡を見に行ったときにこのフェリーに乗ったことがある。

赤色の音戸大橋 らせん道路を昇り降りする。

小用フェリー
案内所ではボランテイアガイドさんが乗船すると聞いたけれど、次の1200の便には乗ることになっていた。 ガイドさんがいなければ単なるフェリ-の往復乗船にしかならない。 よく確かめておく必要がある。 パンフレットにガイド乗船の記載がある。

大和波止場
フェリ-のりばの近くに大和波止場(公園)がある。戦艦大和船橋から左舷半分のデッキが埠頭公園に再現されている。 この近くには戦艦大和のヤマトミュ-ジアムや潜水艦の実艇があり船内見学ができる。

自衛隊潜水艦
呉 ヨット泊地
自衛隊の基地があるので、ヨットでここに停泊したことはありません。 しかし佐世保では停泊することができた。停泊候補地を上げましたので誰かトライしてみてください。
フェリ-のりばの対岸の大和波止場・ふ頭にハシごの設備が3-4か所あり、 許可が下りれば,潮汐を気にしないで安心して泊められると思います。港務局にでも尋ねる必要があるでしょう。

青丸は候補地

大和波止場 黒のゴムはしごフェンダーが設置されている
2024-12-21
ヨ ットの大圏航路

太平洋をヨットで横断したことはないので、体験的なことは書けませんが、本船では経験していますので参考までに書いてみます。
ヨットでは、この大圏航路を利用するのは、太平洋と大西洋で東へ向かう航路をとるときでしょう。西航する場合はトレ-ドウインドの利用になるので、そちらが優先されて使うことは少ないです。
本船でも自然条件に左右されることがあります。 それは、太平洋で冬のベーリング海の荒天を避けるために、アリュ-シャン列島の北を航海するかしないかで、純然たる大圏航路をとらないことがあります。実際の航路は30年前でも気象会社から航路の指示・オーシャンル-トがあって、船長判断ですが、それを航海していました。
ヨットで冬にこの航路をとることは無謀で航海する人はいないでしょう。それより夏のこの地での霧の影響でしょう。GPSが発達した今では大分に航海が容易になったと思いますが、レ-ダ-がほしいところです。
計算により航路を求められますが、北太平洋大圏航法図により例えば軽度10度ごとの地点をチャ-トから求めてそこを変針位置として求め利用している海図に移し替えて記入して変針針路を求めて航海していきます。
計算による例
野島崎34.54N,139.55Eからサンフランシスコ港外37.48N,122.40W
経度差10度で変針点とする。 大圏距離は4468マイル、頂点緯度48.10N,168.43W
変針路(四捨五入)
出発地 34.54N,139.55E N55E
変針点1 35.41N,141.17E N58E
2 40.34N,151.17E N65E
3 44.03N,161.17E N72E
4 46.24N,171.17E N79E
5. 47.44N,178.43W N86E
6. 48.10N,168.43W S86E 頂点
7 47.44N,158.43W S79E
8 46.24N,148,43W S72E
9 44.03N,138.43W S65E
10 40.34N,128.43W S60E
到着地 37.48N,122.40W

ヨットは風によりジグザグにしか進めないので、変針点はあくまで目標です。 西航するときのように
緯度線に沿って進む航路もありです。 ウインドマップ等により大圏航路を頭に描きながらの航路になります。 ヨットでは。
2016-6-3
追補
大洋横断するヨットには、今ではWiFi環境がほしいところです。 衛星電話によるしか無いのでしょうか。 辛抱さんのように陸から気象のサポ-トが受けられれば解決するかもしれません。 それもかなわぬヨットマンも多いでしょう。 日本にいる時のようにWindyが利用できれば良いのですが。 貿易風の利用できない太平洋・大西洋の東航進路の場合には、大圏航路を最短距離と意識して、衛星電話の短時間利用でWindyを使いその時の針路を決めるのが、デスクの上でのプランですが良いようです。
2022-1-10