商船


船員履歴

内航石炭専用船
近海セメントタンカー
長距離フェリー
近海材木船
欧州フィーダーコンテナ船
遠洋貨物船
遠洋重量物専用船
遠洋パナマックス船
などを甲板員、甲板手、
航海士として乗船

 私の乗ったオアフ号、  
 独ーデンマークースェーデンーオランダ-英-仏-スペインの西ヨーロッパを周航


 


海上職・自社養成船員

護送船団

海上自衛隊・航海科の充実  その2  その3

船員の常務  その2  その3

大畠瀬戸 その2 貨物船と橋の衝突

海員組合を作った男  浜田国太郎  1873-1958





 

  海上職・自社養成船員

   航海士当直勤務



 最近は「船乗り」という言葉は使われなくなり「海上職」というようになったのか。MOL・商船三井での最近の募集要項は下記のようです。

   採用条件

 1. 三級海技士以上の資格による外航船乗船履歴を有する者。
 2. 原則として、二級海技士免状及保有及び一級海技士(筆記)免状合格、もしくは一級海技士免状保有者。
 3. 原則として、三級海技士(電子通信)、第三級海上無線通信士免状、またはこれらの上位免状取得者(但し、航海士に限る)
 4. 連続半年以上の乗船勤務に耐えうる心身ともに健康な状態の者、および東京その他(海外を含む)での陸上勤務可能な者。
 5. 短期大学(高専含む)以上の学歴を有する者。
 6. TOIECにて600点以上を取得している者

 飛行機のパイロットのように自社養成コ-スがある。昔のように商船・水産系の大学・高専の出身で無くても士官となることは可能となった。 一般大学卒において、文系であっても女性でも海上職に採用されれば、航海士・機関士になることができる。 日本の大手の海運会社、日本郵船、商船三井、川崎汽船がこの制度をとっている。 日本郵船の採用数は、今年度に海技者22人、航海士12人(うち自社養成コース6人)です。商船三井は海上新卒採用20名となります。

 商船三井の採用では上の要綱によると、逆に商船系大学・高専の新卒では三級海技士免状を所有していても、それだけでは乗船履歴が無く、どこかで経験を得なければ採用条件を満たさない。専門学校の新卒採用を拒否しているようにも思われる。 大手の採用の意図は今までの「船乗り」を欲しているのではなく、陸上職へ使うのにベ-スとなる経験を得させようとの目論見でしょう。 自社船に日本人船員が必要と考えているのでは無いと思われる。 フィリピンに出資して商船大学を設けて、そこで士官の養成をしている。 便宜置籍船の船員はここで充分に賄えるとだと思う。 現在は欧米の1/2-1/3の給料になった日本人の給与ですから、日本人の船員を雇えるようになっているとは思えますが。

 これまでの船員履歴による個人的な見解であるが、昔の話でもある。 必要とあれば、商船高専卒は20歳から士官として雇用できるので船員として雇うには都合が良かった。 船員としての需要の無い現在では過去の教育制度は必要とされないのでしょう。 大手の要求としては現場に精通している陸上勤務員が欲しいだけで、海上職はそれを支える便法になるのでしょうか。 大手の採用の意図は今までの「船乗り」を欲しているのではなく、陸上職へ使うのにベ-スとなる経験を得させようとの目論見でしょう。自社船に日本人船員が必要と考えているのでは無いと思われる。

 これも私見になるが、商船大卒の船員と商船高専卒の船員では専門的知識では違いが無く、海技試験では高専卒の方が合格率が高かったようにさえ思われた。 それでも、人間的・教養的な幅において大卒は違ったものがあるように思えた。 商船大卒と偏差値の高い大学卒との違いでも、会社にとって一般大卒を使いやすいと感じていたのではないかと思われる。 陸上職という名が存在するのかは分かりませんが、今まで有名大学から数名ずつの割り当てで採用してきた新卒採用と海上職採用とはキャリアとノンキャリの格差があるのでしょうね。

 大手と違い中小の会社は、便宜置籍船で外国人を雇用しているので日本人が外航船に仕事を得るのは難しい予感がします。外航船員になるのであれば、一般大学卒で自社養成コ-スに採用されれば、今まででは考えられないくらいの特例コースが用意されている。 小生は国家試験の要求される実際の乗船履歴4年を満たすために、休暇は除かれるので7年くらいの会社履歴を必要とされました。 今度の海上職で採用されれば、海技大学で半年を学び、その後1年の実習をすれば3級の海技士に受験ができる大きな特例がある。 知らぬ間に乗船履歴を重視してきた船員制度が変更になったようです。

 大手2社の採用枠に入れるようなら人なら、当然に受験のプロになっておられるので、大学入試よりは易しいと言われる海技試験も楽勝で合格できるでしょう。( 合格にならねば採用されないようですが ) 昔の制度でも各学校のトップの成績の人しか大手3社には入社出来なかったので5%位の上位の成績の人しか無理でしたから、現在も海上職に入るのは難しいと思われます。

 船乗りに憧れた若いころには紺や白の制服を着てブリッジで当直する姿を夢見たものだが、実際になってみると、作業ズボンにTシャツの姿であったわけで, 動画のように現在に制服姿で当直している船があるのかと驚く。 自分が経験することがなかった大手の世界では当時も制服の姿があったのかと思う。

 
  最後に、現在でも中国に投資を拡大している大丈夫かと思われる企業があるようですが、経営者が安全保障の視点を持つのでなければ日本人船員を雇用する気持ちにはなれないのかと思われる。 ウクライナ戦争の事態が日本に起きなければ良いと思うばかりである。


 
        2023-1-20


    護送船団



 護送船団方式といえば、最近まで続いた政府と企業が一体となって守っていくシステムのことです。本来の意味は戦時中に海外輸送をになう商船を海軍が守って安全な輸送を行うことです。

 第一次世界大戦の折、イギリスはドイツの潜水艦に手痛い損害をうけ、日本も日英同盟による要請を受けて、地中海に船団護衛の駆逐艦を派遣した歴史があります。 第二次世界大戦の時には、前の大戦の戦訓からイギリスは日本が十分な手当をしていると誤解しておりました。 しかし、そうではなく大戦後半になって、やっと日本海軍は船団護衛司令部を設けた。その護衛隊には補助的な艦を充てるのみで、大半の商船を失うことになる。  内地への輸送が機能しないので、資源や油に事欠き敗戦の最大の理由になった。 商船乗組員の死傷率は海軍兵士のそれを大きく上回る結果となりました。

 イラン・イラク戦争の時に、小生はペルシャ湾の最奥部のクエートへ油輸送パイプを日本商船で運んだ経験があります。 その時の唯一のお守りは船腹に書いた日の丸でした(笑)。

 イギリス商船は湾の入り口でコンボイ(船団)を組み軍艦に守られてペルシャ湾を航行していた。 小生は大変にうらやましく思いました。 その時に日本商船はイランから攻撃を受け乗組員が亡くなっております。 戦前からの商船護衛軽視が現代でもは続いています。 政府には日本人の生命と財産は守る使命があると公言しますが、実際は絵空事でありました。

 こんな現実の出来事があるということは、九条を守れと言っている人々の想像力の片隅にもないことのようです。 海外にいる邦人救助に、にアルジェリア事件の後で。海空の部隊のみによるより加えて陸上部隊でも可能にするよう検討しています(改正して可能になりました)。

 今まででもイランからの邦人救出の折には、当時国営の日本航空は機能せずに、トルコ航空が救援してくれました。これは明治時代の海難救助した旧恩に報いてくれた行動であった。 

 商船護衛のことはまだ想定外ということでしょう。シーレーン防衛とは掛け声だけで、今のままではそれを守れるはずもなく、それでは日本が総力戦は戦えません。 頼りの日本人の乗り組みの外航日本船は絶滅したか又はほんの少数です。戦争反対を叫んでいる人々の努力のたまものでしょうか、日本は戦争できない国です。今のままならまた負けます。

                 2013-4-24
                          

   追記

 今度のイスラエルトハマスの戦争の影響で紅海の商船の航行が侵されています。 スエズ運河の航行を商船が自粛して喜望峰まわりの航路に変更を余儀なくされている事態です。 日本人が乗っていない日本籍の商船も攻撃されています。 海賊対策で自衛艦が紅海にいるはずですが、船団護衛の話もないようですね。

              2024-2-23

             


    海上自衛隊と航海科の充実


 ”あたご”と漁船の衝突事件で自衛隊の当直航海士が無罪となりました。以
前にも、”くらま”の下関海峡で衝突炎上、潜水艦”なだしお”の
遊漁船との衝突などが思い出されます。船乗り稼業から離れて25年ほど経ちますので、現
状には疎いのかもしれません。小生の時代には無かったGPSや衝突予防装置を、今では
設置しています。自衛隊には海の法律は適用されなくて、航海士の免状がなくても当直の
責任者になれます。民間船にある航法記憶装置も”あたご”にはなく、どういう
針路で航行したのかの記録がなく、この裁判に確たる証拠として利用できませんでした。
 水産に関した学校に在籍したことがあります。漁船に乗ることもなく、商船の世界ですごし
ました。漁船の世界から商船に来た人は、やはり本業は魚とりですので、航法は漁場へ行
くためだけ補助的手段になるためでしょう。正直に言えば、漁船から商船の航海士になる
のに、慣れるまで時間を要するのが実情です。 自衛艦でも同じですね、戦闘するのがメイ
ンですから。
 事故が起きた時の、社会的な問題の大きさを考えると、より航海科の充実が必要です。 
 そのために、
1.当直士官3名に海技免状を所有させる
2..航海科の経験のある下士官に免状をとらせて当直責任士官に任用する(現実的で効果
大)
3.商船の航海士を中途採用する、これが即効性があります。
 こんなことが考えられます。例え優秀といえども、防大出の士官で砲術得意で航海に未熟
な人を、士官だからということで、当直責任士官に使うのは事故のもとですね。言い過ぎで
すが、普通自動車免許でレースに出る人はいませんね。商船では船舶が輻輳していない
昼は航海士一人で当直していて、夜間は航海士と甲板手と2人で当直が現状です。しかし
自衛艦は当直士官と操舵手以外に左右と後方に計3人を見張り員として5人で当直配置し
ているようです。自衛艦は本船と違いは直ちに機関停止や減速が行えます。それでも事故
を起こします。責任当直航海士の技量向上が必要です。
    
           2013-6-29
 


     船員の常務   
      the ordinary practice of seaman


海上衝突予防法の中に船員の常務についての条文があります。 海技試験のなかでは3
級海技士(遠洋航海士)以下の免許では出題されていないと思います。ましてボート免許で
はなおさらです。しかし裁判・審判になればその規定をめぐり争われることになります。基本
ルールとなる行き会いの航法・横切りの航法・追い越しの航法などがあります。しかし道路
と違い海上では暗礁があったりしますので、法令どうりの回避をできない状況もあります。
それでグッドシーマンシプによりて事故を避けなければならない規定が船員の常務です。遠
洋航路の船員はほぼ絶滅ですが、存在したころでも、3等航海士レベルではこの法令の知
識は詳しくないでしょう。既定の航法で航海しているということです。事故がないかぎり問題
にならないのも事実でしょう。

 潜水艦なだしおの事故の際にもヨットが近くにいたことから自衛隊側はこの規定を主張し
ましたが、その主張は否定されて航法が適用される審判がなされました。今回のおおすみ
の事故の際も貨物船の存在が報道されていますが、よく詳細はわかりません。海上保安庁
捜査報告や海難審判所での判決の段階にならないと判明しないのだと思います。
 
 高度な専門的法令解釈になりますが、ボート免許の講習でも試験に出さないまでも。講師
が説明してもいいと思いますね。折角世界に稀有なアマチュアボートに対して免許制度があ
るのですから。皮肉です。

                   2014-1-18


     船員の常務その2    


  商船学校の課題にでも出ているのでしょうか? 意外にも専門的な話題ですが、よく見て
いただいております。海難事故が起こればこの問題は避けては通れないので、詳しくは判
例をつぶさに研究するしかないので、実務についているものには厄介なことです。

  下記は海技試験に出たものから関連です。

  ●口述試験の勉強本に船員の常務の具例を5つ上げよの問題があります。解答は

 1. 航行船は錨泊船を避ける。
 2. 風潮流の強いときは,他船の前面に接近して投錨しない
 3. 風潮流の強いときは,他船の風上、潮上の航行を避ける。
 4. 錨泊船は、衝突の恐れがある場合は、その能力に応じて、衝突の危険を避ける措置
を   とる。 注、大型船は機関始動には時間がっかりますが。
 5. 台風が接近しているときは、乗組員を在船させ、予備錨の投下や、機関を準備し、避
難   にそなえる

  ●38条第2項に切迫した危険のある状況では規定の航法によらなくていい具体例として

  本船は右舷側を他船に追い越される立場にあったので、針路・速力を保持して航行中

  突然に前路に流木を発見したので、短音2回の音響信号をして左転した。

  潜水艦なだしおの事故やあたごの事故でも海難審判と司法裁判の結果は違ったものに
なりました。 裁判所が専門的な判断をもっているとは限りません。海難審判所の改革も行
われました。審判所の意義は薄れています。海難裁判所にするかそれとも廃止するか問わ
れていますね。審判記録を調べても裁判で判決が異なったのでは戸惑うばかりです。

          2014-9-14
 



   船員の常務 その3
        狭水道の航法  


      

            参考航跡図


日本船B丸2000トンと外船A号7500トンとの狭水道での衝突事故について老元航海士
の個人的見解ですので必ずしも正しいわけではありませんが、船員の常務とからめて書い
ています。

 衝突までの経過

 B丸は
 午前7時36分大石灯標を針路0度で通過、視界・波・風・潮流とも海況には問題なし。レ
ーダーにて南下中のA号を4カイリほどに認める。7時37分半ごろ水道の中央で出会う恐
れありと認識した。互いに右に転じ水路の各右側で通過するつもりで針路を右10度にして
16ノットで続行。7時42分A号を1400mに見るところで携帯信号燈にて短光1回の信号を
発し小刻みに18度まで変針した。そのまま進む。7時43分相手船が右転する気配がなく
400mばかりに迫った。衝突の危険を感じて7時44分少し前に12ノットに減速した。汽笛及
び燈火で短音1回の信号を発した。舵を右いっぱいにしたが7時44分A号の船首がB丸の
左舷中央部に30度の角度で衝突した。
 A号は
 7時36分少し前に右舷船首3.8カイリばかりに北上するB丸を認める。瀬戸で行きあう
とすれば互いに右舷で航過するつもりで続行。7時40分少し前に正船首少し右約1.8カイリ
のB丸が紅緑を示すようになったので7時40分ごろ機関を停止した。7時42分少しすぎに
正船首少し右1.3カイリに接近したB丸が紅燈のみで自船の前に急速に接近したが、相手
船がいずれ左転すると思い神鼻の浅瀬を気にして右に舵を切るなと命令した。しかし7時4
3分そのまま400mばかりに接近したので、衝突の危険を感じ全速後進として右舵いっぱい
としたが効果なく衝突した。

 海難審判ではこの衝突は両船が、それぞれ狭水道における適切な航法を守らなかった
ことによるとされた。B丸においては同水道で行きあうことを避ける措置をとらず全速で進
入した。、A号においてはいったん機関停止をしたもののなお行きあう恐れがあったのにこ
れを避ける措置をとらずかなりの行足で進行した。これらの原因で発生した。


 個人的な見解
 審判の採決のとうり両船が水道の中央付近で行きあわないような措置をとるのはもちろ
んのことです。神鼻沖の水深の浅いところをA号が嫌って右舷対右舷の航過を想定して航
行していたのは狭い水道で行きあうケースでは妥当な判断であったとはいえません。A号の
みの航行なら問題ないでしょう。B丸も狭水道の法規どうりの航法を想定して航行しました
が、その想定がはずれて事故になりました。
 老生も欧州のコンテナフィーダー船で船舶の輻輳する海域のドーバー海峡や北海を航海
して学んだことですが、VHFの16チャンネルは必ずどの船舶も点けっぱなしで聴取してい
ます。それを利用して相手船の進路の意向や自船の進路の希望などをやりとりして衝突防
止に役立てています。そんなに難しい英語ではありません。少し聞いて慣れれば日本人で
も使えます。今回の場合もB丸からA号に呼びかけて意思を伝えれば簡単に防げたと思い
ます。A号が常識ばなれの行動をとるのならA号が呼びかけるべきかもしれません。
今回は大型船どうしの問題ですが、ここで述べた本船とヨット・漁船のケースも有効です。
 最近の学生は英語力が向上しているので、学校で簡単なテキストで習得できます、その
使用を促す教育をすべきでしょう。外航日本人船員が絶滅した今では日本沿海で航行して
いる大型船は外国人による運航となっています。水先人の能力も落ちている気配も感じま
すが、水先法を改正して狭水道を通航するケースでは水先人を義務つけるのも良いかと思
います。今回は衝突予防法にはない港則法や海上交通安全法の適用される海域ではあり
ません。かって中国船の大型船が鳴門海峡を通航しようとして事故ったケースもありますの
で日本の本船乗りの常識をこえる船長さんが運航しています。改正が必要です。

       
 参考法規

 第9条 安全であり、かつ、実行に適する限り、狭い水道の右側端によって航行する。
 第34条 短音・光 1回  本船は右に針路を転じている。
 第14条 2隻の動力船が真向いまたはほとんど真向いに行きあう場合において衝突する
 恐れがある場合は、互いに左舷側を通過することができるようにそれぞれに針路を右に
転 じなければならない。今回は狭水道ですのでこの規定は適用されません。
 第38条 切迫した危険のある特殊な状況ではこの法律の規定によらないことができる。

       2014-9-21


    


大畠瀬戸 その2 貨物船と橋の衝突

 

  10月22日大畠瀬戸の瀬戸大橋でドイツ海運会社が所有する貨物船「エルナ・オルデンドルフ」マルタ船籍・船長インドネシア人・乗組員21名が橋桁に衝突した。送水管が破断して周防大島の全域で断水している。

 ここで大畠瀬戸で取り上げています。 ヨットで6回ほど通航しました、ここでは500トン程度の内航船と小型フェリ-と行き会うことがほとんどでした。

 かって鳴門海峡を今回のような中国の外航大型船が通航して事故を起こしたことを思い出しました。日本人船員には常識はずれの行動です。 

 日本人外航船員の絶滅した現在では、輸出入の船舶は船籍・船員・所有国が異なる便宜置籍が主力になっています。 おまけに水先法の規制もゆるいようで不慣れな外国人船長の判断で運航されている現状です。 今後も同様な事故は起こるでしょう。



 赤線が事故船の推定航路
 
   
 ブリッジクリアランスという数値があります。プレジャ-ボ-ト・ヨットの世界でも背丈の高いものにはスペックシ-トに記載されています。大型カタマラン60f以上では70-80fのクリアランスのものがあります。この瀬戸大橋は31.9mの高さですので航行する際には注意が必要です。


 事故を起こした貨物船 レダ-マストが後方に折れ曲がっている



 切断され橋から垂れ下がった送水管


 ヨットで柳井へ向かう場合は山口県寄りに航行する。上関に向かう場合は周防大島・屋代島寄りを航行したほうが距離的に近い。


  大畠瀬戸の航法

  大畠瀬戸


    2018-12-28

 

 



 海員組合を作った男  浜田国太郎 1873-1958

 

 

 弓削島から「ゆめしま海道」の橋を渡って自転車で生名島に行く。2016年夏にヨットで弓削を訪ねた時、温泉に行く途中の民家に「海員組合を作った男」のポスタ-を見かけて、気に掛けていました。2017年12月再訪してみると、その海父といわれる浜田国太郎の彫像が再建されたことを知ることになり、見て来る。 先の大戦において、金属供出でそれは台座から外されていたものです。

 

 彫像





 彼は明治6年10月25日愛媛県生名島生まれ。12歳から船員生活に入り、明治26年日本郵船に入社、火夫長として各船を乗船。明治39年日本郵船の火夫長を糾合して機関部倶楽部を創立。のちに他社の船員にも呼びかけて組織を拡大し、日本船員同志会と改称して、明治45年のストライキに勝利。以後海上労働運動の指導者となり、大正3年友愛会に参加。9年ジェノバで催された第2回ILO総会に船員代表顧問として出席。帰国後船員団体の大同団結にのり出し、大正10年日本海員組合を創立し副組合長となり、昭和2年組合長に就任。10年組合長を辞任し、その後は宗教運動に関心を抱き、12年僧籍に入る。戦後は青少年の補導・教育につとめた。

中央に国際運輸労連・ITFフィンメン書記長、その隣が浜田国太郎


 船員の組合は職能別・企業別・地域別など20以上に分かれていたという。1921年・大正10年に23団体が統合して日本海員組合が設立された。これは下級船員の組合であったが、海技免許を持つ職員の組合化も進み日本海員組合と密接になる。1935年・昭和10年には彼は組合長を辞職したが、組合員数10万人を超える。当時の組織労働者が40万人であったので1/4が組合に属する船員労働者であった。 戦前から年金と健康保険が船員には制度化されていた。こうした制度をつくる力に組合は貢献したのであろう。日中戦争が始まり1940年には解散に追い込まれます。 戦後は産業別単一の労働組合として再建された。1954年にはユニオンショップ制を協定。1972年91日間のストライキを決行。以上は組合史の概歴です。

 外航日本人船員は1974年のピ-ク時で約57、000人から2009年に2、400人と減少しています。スキルを維持できるレベルの船員数ではありません。今では、極めて例外的に巨大タンカ-やLNG船の幹部船員として4名ほどの日本人を乗組みさせている。

 大手船会社の一例です。800隻を運航して自社で200隻を管理している。それに7200人の船員を配乗して、日本人は400人程度の現状です。日本人船員の経費は船員費ではなくて管理費として計上している。運行管理で実務の経験のある日本人人材が欲しいということなのでしょう。

 小さな輸入代行業者をやっているので、アメリカから船積でヨット・ボートを持ってくることがあります。荷降しの立ち合いで外国船に乗船することががあるのですが、その船の乗員構成は、職員は西欧人で下級船員はアジア系で乗組む船ばかりです。 外航船員の職場が無くなったのではないと感じます。日本の海員組合の方針が間違って外航船員が消滅したのではないかと思っています。

 組合長の選挙で裁判になり無効の判決がでました。組合の事務員の不当労働行為で組合が訴えられています。いったいこの組合は何ぞやと思うばかりです。 

 他の組合でも組織率が下がり、正社員のための組合でしかないような状態です。かっては下級船員は乗船時のみの期間雇用で、今の派遣社員のようなものでした。浜田はそれを組織化してまとまった組合に育てました。
 今の外航船員はユニオンショップ制ゆえにアジア人でも組合員として雇用しなければなりません。従い組合費を払ってくれて会員組合自体は盤石です。我が国は交易立国であるので、いったん有事になれば船員徴用が避けられないでしょう。今になっても中国に投資する経営者や経営に安全保障の理念を持たない社長さん、組合ともども反省の上に立ち手立てを考えてほしいものです。
歴史的には下記のようにえらい経営者もいました。


   勝田銀次郎

勝田銀次郎

 ここで800人のソ連の子供を救出した陽明丸の船主勝田銀次郎さんのことを書いています。その勝田汽船と海員組合との争議で組合長の浜田国太郎がこう述べています。 「彼が勝田汽船の社長時代に、日本の海運界がドエライ不況に見舞われて、給料の遅配・欠配で労組と対決沙汰になったことがあった。彼は家財道具まで売り払って事態の収拾にあたり、世間をアッとうならせ、組合を感激の涙でぬらした一コマは忘れれない思い出である。


 彼は人を愛することに徹しきった。彼の眼中には財宝も地位も名誉もなかった。彼は “垢抜けのしたバカ” だった」
 雇用主の責任を自覚している勝田さんだからこそ陽明丸の偉業をなしえたのでしょう。


    2018-1-13、  2024-9-10再筆